Intervier with Emir Kusturica
「アンダーグラウンド」のエミール・クストリッツァ監督に
木村元彦氏がインタビュー
「今年のカンヌ映画祭は非常に重要です。
何故なら一人の人間と『その人間が抱えている問題は何か』
という点を描いた作品が審査で高く評価されるのだから。
ハリウッド映画は『エンターテインメントとしての映画』
という流行を作ってしまった。
そうした映画が流行るのはとても危険です。
ハリウッド映画は人間の存在を するようなものです。
人間が持っている可能性を奪って、観客を単なる『消費者』
の地位に低めてしまうから。
皮肉なことに、今映画界ではハイパーインフレが起こっています。
映画館で上映しなければいけない作品が多すぎる。
映画館へ行くと、たくさんの上映作品があるのは、こうした理由からです。
おかげで若い映画監督の作品は一週間以上上映できなくなりました。
将来、テクノロジーの発展によって、若い監督がもっと手軽に自分の作品を
映画館に持ち込むことができるようになることを願っています。
(「アンダーグラウンド」に出てくる)
あのチンパンジーは人間の『劣等性』とでもいうべきものを象徴している。
私はチンパンジーを『人間の祖先』として『アンダーグラウンド』に出演させた
彼に『アンダーグラウンド』の世界に起こったことの
いわば証人のような役割を与えることにしたんだ。
だから、あのチンパンジーが登場するのには今言った以上の意味はない。
『人間の劣等性』という意味
要するにあのチンパンジーは
人間が『進化』した存在なのかどうかを問うているんだ。
人間は『進化』したというが、実際には破壊するだけで何も生み出さない。
つまりあのチンパンジーは映画の中で私達に
『人間の存在には意味があるのか』と問いかけているんだよ」
<NATOによるユーゴ空爆について>
「米軍はコソボの少数民族を保護する為に軍事介入しました。
しかし、崩壊は別の崩壊を連鎖的に生み出すものです。
これはもはやアメリカ人だけの問題ではありません。
コソボの悲劇は世界の破壊につながる悲劇だと言えるでしょう。
アメリカは世界での覇権を握る為に少数民族の利益を無視し、
彼らの存在を利用しただけのですよ。
現にアメリカはこの13年間というもの、同盟国であるトルコ、
イランにおけるクルド人問題を無視してきました。
少数民族問題は、英語でいうところの『ギルティー・コンシャス』
つまり『自分が悪い』ということを自覚していながら、
その罪を実行してしまう手段として利用されたのです。
つまり少数民族問題は世界覇権を掌握する為の手段の一つにすぎないのです。
要するにアメリカ人は、
自国でより良い生活を送る為だけに戦争しているのですよ。
でもそうしたことは、歴史上珍しいことではありません。
現在米軍は世界中に駐屯していますが、歴史を紐解いてみれば、
かつてローマ帝国も同じような事をしていたのですから。
つまりコソボの悲劇は我々の文明世界が生み出した恥ずべき事件だと言えます。
したがってコソボの悲劇は現代文明世界の法則によって
生まれた産物だという事実を直視する必要があります。
というのも『戦争』は『野蛮人』ではなく、
文明化された政治家が『戦争産業』を振興させる為に考え出すものですから。
コソボのセルビア人はアメリカ人が言うような『野蛮人』ではありません。
むしろ『文明化された政治家』の方が野蛮人なのです」
『アンダーグラウンド』、
あるいは他の手段による詩の継続としての民族浄化
スラヴォイ・ジジェク
http://www.ntticc.or.jp/pub/ic_mag/ic018/intercity/zizek_J.html
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