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2014.12.15

ガザに「根」を張る

ガザに「根」を張る
http://www.youtube.com/watch?v=Nkf-RjQr9-k

こころの時代~宗教・人生~ガザに「根」を張る
http://www4.nhk.or.jp/kokoro/x/2014-12-07/31/22641/

(ラジ・スラーニ氏)
今回の犯罪的な攻撃の特徴は一言で表現するなら
市民が標的になったことです。
74の家族が一家全滅にされました。
これらが全て爆弾で消されました。
今回の戦争だけで54万人の避難民も発生しています。
その多くは寝ている夜間に爆撃を受けました。
女性も子供達も殺されました。

私達は人権団体として誰にも「知らなかった」
とは言わせない活動をしています。
私達は公表しています。報告しています。
「知らない」とは言えないでしょう。
特にアメリカ、ヨーロッパ、日本では知っているはずです。
私達が求めるのは謝罪ではありません。行動です。

私の家は幸い無事だったのですが、
すぐ近所の家がかなり爆撃されて破壊されました。
実際の所、体に受ける感覚では爆撃機が私の頭上を
飛び交いましたから自分の家が爆撃されたような思いでした。
しかもそれが毎日、毎日続くのです。
明日の朝を生きて迎えることができると思えた人は誰一人いません。
私も妻も子供達も生き延びることはできないと考えていました。
私の親族の家は五回にわたって爆撃されました。
92歳になる叔母と私の兄が暮らす家です。
その隣の家も完全に爆破されましたが、
そんな時も私はその家に駆けつけることができませんでした。
何故ならば夜間において動くものは全て抹殺されたからです。

〈ナレーション〉
今回イスラエル軍は数々の病院や国連が避難所
とした学校など数多くの民間施設を破壊しました。
ガザで唯一の発電所も焼かれ電力の供給ができなくなりました。
人々の殺傷のみならずライフラインを切断するような攻撃は
将来にわたってガザに人が住めなくするような戦争犯罪であると
スラーニさんは考えています。

国連もイスラエルによる住宅地などへの攻撃は
国際犯罪の可能性があると決議。
しかしイスラエルは当事者間の安全保障上の問題であるとして
その干渉を拒否しました。

「ガザにおけるイスラエルのジェノサイド的大量殺戮の1000人目の犠牲者の
家族の方に」イラン・パペ著「エレクトロニック・インティファーダ」7月27日
政治的立場から殺害脅迫を受け イスラエル国内の大学が採用拒否したため
イギリスに移住 現エクセター大学教授
パレスチナ人との和解や連帯を求めて闘っている。
「私はこの国家イデオロギーと絶縁して久しく、個人として
このイデオロギーと対決し打ち負かそうとできる限りのことをしてきました。
ジェノサイドを阻止するために闘います」

(徐京植氏)
私は彼のように闘い続けてきたと自信を持って言うこともできないし、
闘い続けると誓いを立てる自信もないんですね。
そういう私は恥ずかしさの感情こそが
最後の自分の拠り所だと思ってるわけです。
お互いを理解したり連帯していける最後の拠り所は
このような恥ずかしさの感情である。
せめてそれだけは失いたくないと思う。

(ラジ・スラーニ氏)
ギデオン・レヴィという敬愛するイスラエルのジャーナリストもいます。
(イスラエル「ハアレツ」紙で25年間パレスチナ問題を執筆
今夏「裏切り者」として脅迫され新聞社がボディガードをつける)
彼は最近こう語りました。
貴方がイスラエルで多数を占める戦争支持派に反対でも
その意見を表明することは困難だ。
執筆すれば弾圧を受け脅迫され身の安全を脅かされると。
それは実際今回の戦争中、彼の身に起こったことでした。
次に彼はこんなことも語っています。
我々イスラエル人は今回の戦争で民間人を7人失った。
ここで私が思うのは、もしイスラエルとガザの立場が逆転していたら
イスラエルはどうしただろうということだ。
我々が2246人を失ったら、自分達の子供543人と女性322人を奪われたのは
イスラレルという国家だったらどう反応しただろう。

私はどんな人間の血も、どんな人の苦しみも、
全ての人の魂は尊いものだと信じています。
ユダヤ人だけが尊いのではなく、パレスチナ人でも仏教徒や
キリスト教徒、イスラム教徒やユダヤ教徒でも
人間の存在は尊く等しく敬意を払われるべきです。
イスラエルのユダヤ人はホロコーストに苦しめられました。
ナチスによって虐殺され迫害された人々は安全な
避難場所を求めて逃げた時、パレスチナに来ました。
私達のもとに来たのです。私達は土地を分かち合っています。
資源を分かち合っています。歴史を、現在という時間を、
そして未来を共有しているのです。
パレスチナの地にユダヤ教、キリスト教、イスラム教という
主要な三つの宗教がともにあるのは偶然なのでしょうか。
そこは寛容の精神がある場所です。
他者を受け入れ共存していく場所なのです。
それは数千年の間続いてきましたが、ユダヤ人の犠牲者達は
私達パレスチナ人の犠牲を求めようとしました。
私達は犠牲者の犠牲者にされてしまったのです。
今やガザは世界で最も巨大な刑務所になってしまっています。
パレスチナ人の苦しみと犠牲は1948年以来最悪の状態になっているのです。

世界人権宣言 1948年12月10日
ジェノサイド条約 1948年12月 9日
イスラエル建国宣言 1948年 5月14日
(朝鮮が分断された年でもあった)
韓国独立宣言 1948年 8月15日
北朝鮮独立宣言 1948年 9月 9日

(徐京植氏)
そこで宣言された人権は実はその瞬間に保証されたのではなかった
ということが証明された、この数十年間ではないか。
私の教室で学生達はよく「同じ人間なのにあんなことが
できるなんて信じられない」と書きます。
その時、私がする答えは
同じ人間という観念はまだ確立されていないのだ。
それを私達は手に入れてないゴールなんだということを話すんですね。

(ラジ・スラーニ氏)
私達は完全に公正な世界に生きているのではありません。
この世界は完璧ではありません。
皆が人権を保障されているわけでもありません。
闘いはいまだに続いているのです。

私達は沈黙という罪を破り、どんな権力に対しても自粛したり、
政治的な自己規制などしない強さを持たなければなりません。
これが人間という存在への謙虚さです。
私達人間としての尊厳であり、使命なのです。

私が「ラジ」であるのは、この大地の一部だからです。
ここは我々にとっての「水」であり、「酸素」「食物」です。
私の心の「糧」なのです。
このオリーブの樹を見て下さい。
しっかりと根を張って動きません。これが私です。

私は市井の弁護士としての活動を始めたのですが、
二年程過ぎた頃、イスラエルによって逮捕されました。
この逮捕が私の目を開かせる出来事となりました。
私は86日間昼夜を問わず、とても耐え難い非人道的な取り調べを受けました。
そしてその取調べが終わると独房に入れました。
私はそれまで拷問とは、失明させられたり、足や腕の骨が折られ、
体が麻痺し、アザだらけになることだと思っていました。
しかし自分が収監されてみて、自分は巨大に脹らんだ
風船のように中身が空っぽだったことに気づいたのです。
私は最初の一針で本来の自分の大きさになりました。
私は何も知らなかった。無知でした。
私はこの時、イスラエルに
穏便なる身体的心理的抑圧 moderate physical and psychological pressure
というものがあることを知ったのです。
それは毎日何度も何度も自殺したいと思うような目にあわせるけれども
相手の体には傷一つつけないというものです。
私はこの抑圧を受けました。
私はこのシステム、つまりこうしたカラクリの内側に入ったことによって
秘密警察や警官、検察と軍事法廷の判事達の関係を知りました。
人々はどのような力で全てを奪われていくのか内側から観察できたのです。
刑務所の中でパレスチナ人の服役者がいかに疎外されているかも見ました。
私は刑務所で過ごした時間を一時たりとも後悔していません。
これはとても特別で独特な体験でした。

第4の次元 the fourth dimension というべきものを与えられたからです。
それは本から得る感覚ではありません。
まさに自分の肌に刻み込み、得るものなのです。

釈放後、過去の問題を洗い直し、
国際的な基準を認めさせようと決意したのです。

私はイスラエルにより6回監獄に入れられ、
17年間外国への渡航を制限され、自宅と事務所の捜索を10回受けました。

一方私はパレスチナの自治政府初代大統領だったアラファトによって
収監された最初の政治犯になったことを誇りに思っています。
その数か月前、私は彼から法務大臣に就任する
よう言われましたが、断っていました。

アラファトが私を逮捕させたのは、彼が反対派を大量に逮捕したことや
パレスチナの刑務所でイスラエル人を拷問によって殺したことを
私が批判したからでした。
私達はイスラエル側にもパレスチナ側にも立ちません。

<ルーツは?>
800年、900年前からです。
私達はガザに深く根を下ろしてきました。
私は自分の家族を誇りに思っています。
動かざる谷間の石と言われることもある土地です。
ずっとこの地にとどまってきましたし、これからもとどまり続けます。
ですから、人々の根を引き抜くことは簡単なことではありません。
私達が根を上げることなどありません。
農場というのはただ単に土地を耕し作物を育てるだけの場所ではありません。
人生の基盤を形作る出来事が起こる場所です。
そこは私の人生で一番すばらしい記憶が眠る場所でした。
しかし二度と行くことができない場所となりました。
あの農場は2008年から9年に起きた戦争によって
壊滅的な被害を受けたことがありました。
しかしその戦争の後、再び私達兄弟が力を合わせて
復活させようと耕してきた場所でした。
しかし今年の夏の戦争で農場はこっぱ微塵にされ、消されました。
爆撃によって深さが18メートルもある穴があけられ、
もはや樹は一本もありません。
命のみならず暮らしそのものが抹殺される、そこが問題なのです。

ガザの三分の二の人達は難民です。
私の友人の多くはそのような難民の人達でした。
彼らがガザに逃げてきた当時、
私の祖父や妻の祖父はガザの大地を耕していました。
やって来た難民の人達は私達の農場にも何年も何年も滞在しました。
老いも若きも集まり、50人、60人、70人で
飲食を共にし、互いの人生を楽しみました。
私にとってそこはただのオレンジ畑ではなく、私の記憶の一部だったのです。
私の心を支え、骨格となった所なのです。

私達ガザ人の三分の二は難民だと申し上げましたが、
このことがガザという社会に独特の化学反応を起こしました。
この化学反応、ケミストリと言うべき相乗効果は、
昔からいたガザ人と難民との結びつきでもたらされた、
他には見られないような強い化学的融合です。

1948年のナクバへの抵抗はガザで始まりました。
パレスチナで初めての組合、女性の組合、学生団体、
労働組合、作家組合、これらも全てガザで生まれました。
PLOもガザで創立されています。
当時のガザにはエジプトのナセルも、
ジャン・ポール・サルトルも、キューバのカストロも来ました。
ガザはパレスチナ・イスラエル紛争において
極めて重要な象徴とも言うべき場所です。
ガザには人間の尊厳という問題において
世界の人々の手が届く象徴性があるのです。

ガザが封鎖されたまま、社会も経済も窒息し、失業率が60%、
貧困ライン以下が90%、配給頼りの生活者が85%を超えても、
人々が居続けるのは何故でしょう。
それは占領状態に抵抗することが権利であるだけでなく、
自由な人間としての私達の責任だからです。
声も上げず、なすがままにされる、
加害者にとっての“善き犠牲者 good victims”にはなれません。
善き犠牲者にはなりません!
拒否することは人間として大切なことだからです。


スラーニさんは、土井敏邦さんの案内で飯舘村を訪れました。
〈ナレーション〉
飯舘村。
原発事故により激しく汚染されたこの村は、
今もなお全域が避難指示区域とされ
村を離れた住民が一時的に家に戻る時も宿泊は許されていません。
住めなくなった杉下さんの家の周囲は
いまだに高い放射線量を示しています。

(放射線量計を見て)〈土井さん〉
92ですよ。もう、すぐに離れないと 危ない

〈杉下さん〉
この家は、もう諦めざるをえない。
まわりの人が誰も戻って来ないというのが分かりました。
自分だけが戻っても、もう生活が成り立たない。
土地と家を失う、というよりも、家族とまわりのコミュニティー、
絆が分断されますんで、もう何とも言い難いですね。
言葉にはちょっと言い表すことができませんね。

〈ナレーション〉
この日一時帰宅した酪農家の長谷川健一さんは、
閉鎖した牛舎にスラーニさんを案内しました。
両親が開拓農家としてこの地に入り、力を合わせて築いた生活の糧。
50頭まで育て増やした牛は、自らの手で処分しました。

〈長谷川さん〉
これは牛の管理表。
牛を処分する、屠畜させる順番を息子が決めた。
この今回の原発の事故というものは、
どんどんどんどん風化させよう、しようとしている。
また国でもどんどん風化させようとしている。
それにやっぱりマスメディアも一緒になって、なるべく報道はしないと。
そういう風な状況だから、まあ、日本人としては、
どんどんどんどん今忘れて、去ろうとしている。
更に今度は、何故かしら日本の国民的な人当たりのせいなのか
そのへんはよく分からないんだけども、おとなしすぎる
皆じっとやっぱりあの我慢している、ていうか。
まあそれについても、我々ももういい加減にしろと。
我々に対してそういうことやんなよと。
おとなしくしてなさいよと、そういう風な態度というか、
言ってるようにしか我々の目には見えない。
飯舘村怒ってんだぞと。
このまま黙っていたんでは駄目だと、
とにかく声を上げることの大切さというものを
みんなに分かってもらいたいなと、そう思います。

〈ナレーション〉
スラーニさんが訪ねてから一か月後の11月14日
飯舘村で村民が立ち上がりました。
酪農家の長谷川さんが代表となり、原子力損害賠償解決センターに
東京電力の謝罪と損害賠償の支払いを求める申し立てを起こしたのです。
名を連ねたのは全村民のおよそ半数に達しました。

(ラジ・スラーニ氏)
飯舘村は私の知る中でも最高にすばらしい場所の一つです。
耳をすませば、鳥がさえずり、木の葉のざわめきが聞こえます。
全てが完璧な世界です。
ただし、人間の姿が消え失せ、そこに入ることができないことを除いては。
ここも人々の生活の根が破壊された場所です。
私は大きなショックを受けました。
もちろん津波や地震もありましたが、問題はここに原発があったことです。
私は人々に尋ねました。
誰か謝罪しましたか、
答えはいいえ。
この罪について誰か責任を問われた人はいますか。
いいえ。
私は、ある意味で、これはガザなのだと思いました。
飯舘村の人々は、疎外され、無視され、放り出されていると感じています。
ガザにあるような難民キャンプではありませんが、
この日本にもある意味で難民キャンプがあるのだと思いました。
日本にも故郷を追われた難民のような人々がいるのです。
私が会った方たちは、はっきりと、法の裁きを求め、
法の正義を望むと話していました。
私が考えるに、ガザと福島はコンセプト、置かれている構造が似ています。
そこには、アカウンタビリティ、つまり責任の追求が欠けているのです。

〈徐京植氏〉
福島の被害者の中に、この事態を心から悲しみまた怒り、
そして企業や国家の責任を追求する人達も存在します。
しかしその人達の声は隠されて届かないという現実があり、
またその人達以外の日本の人々がそれについて
真剣に耳を傾けない、関心を持たないという現実があるんですね。
だから貴方が仰ったようにアカウンタビリティを問うことができるか
どうかということが、今日本にいる人間に問われてる試練なんですね。
それがつまりヒューマンディグニティ、人間としての尊厳を
持って生きることができるかどうかということです。
この問題については私は残念ながら楽観的ではないんです。

(ラジ・スラーニ氏)
まず、政治のレベルで言えば、政治家は原発は安全だ。
決して事故は起きないと言ってきました。
ところが起きたのです。
他の原発で事故が起きないと言えるでしょうか。
政治家には責任があります。
次に学界やメディアなどですが、彼らは人々の良心を代表すべきです。
皆も求め続けるべきです。
法の支配が崩れれば、弱肉強食のジャングルの掟になってしまうからです。
国内レベルで責任の追求ができず、正義が実現しないのならば、
私は国際的な場においてそれを実現できる可能性があると
ここで申し上げておきたいと思います。

〈ナレーション〉東京での講演
その最後に戦火の中でも失わず支えとしてきたことについて語りました。

私達が失わなかったものが一つだけあります。
「人間としての尊厳」です。
誰であれ、私達の「根」を故郷の大地からは引き抜けません。
私達には「力」があります。
何故なら、世界各地で自由を求める献身的な人々が、パレスチナ人を
支え連帯してくれるのをこの眼でしっかり見ているからです。
ニューヨークで、東京で、ストックホルムで、
南アフリカで、ロンドンで、パリで
それらは「第4の次元」という大きな力となり
人々のため、私達の闘いのため、世界の正義のための後押しとなっています。

〈ナレーション〉
ガザへの攻撃が続いている間、世界各地でガザを支援し、
つながろうとする人々が声を上げました。
その中にはかつてナチス・ドイツによるホロコーストを
生き延びたユダヤ人もいました。
停戦の3日前、彼らはアメリカの新聞に意見広告を出し、
ガザのパレスチナ人虐殺を非難し、
悲劇を誰に対してもくり返すなと広く訴えたのです。
(ニューヨーク・タイムズ 8月23日)
ナチスの大量虐殺におけるユダヤ人生存者
および彼らと犠牲者の子孫は
無条件にガザのパレスチナ人虐殺を非難する

しかし当事者であるイスラエル人とパレスチナ人の
日常的なつながりは分断されています。
その境界には今もなおイスラエルによって築かれた分離壁と呼ばれる
壁が高くそびえ、人の交流を物理的に遮断すると共に対話によって
互いを理解し合おうとする人々の思いも隔ててきました。

〈徐京植氏〉
人間と人間を隔てる壁ということを私達は考えるんです。
恐らく私の感じでは、この数年の間に、
特にイスラエルの側の人達があなた方を見えなくなってきた。
見ようとしなくなってきたとも言えると思うんですね。
それが90%以上のイスラエル国民が
今回の攻撃を支持しているという数字にも現れていますし、
シニシズム、もっと別な言い方をすれば人間は非人間であるという原理、
そういう思想、人間は人間ではないという思想が
勝利を収めつつあるプロセスという風に私には見えるんです。
そのことにぎりぎりの場所で最も困難な前線で、
そのことと抗っているのがあなた方だとという風に思えるんですけれども、
これに対してどう闘うか、どういう風に抵抗していくか、
こういう現状はどうなっているかということにはどうお考えでしょうか。

(ラジ・スラーニ氏)
ベルリンの壁は壊されました。
世界は壁を壊し、移動のため、人と人、国と国、人や物の
自由な移動を可能にするため、国境を開く動きが広がっています。
しかし21世紀のイスラエルは、内に自らを閉ざし、私に言わせれば、
ゲットーのメンタリティ ghetto mentality で生きています。
平和とは境界を開くこと、協力すること、調整し合うこと、
経済的な取引が行われることです。
人々が移動し、働き、人と人が出会うことなのです。
しかしゲットーのメンタリティではいつまでも平和は訪れません。
現在ガザの人々が実際に顔を見るイスラエル人は僅かです。
見るのはイスラエルの兵士ばかりなのです。
非常に残念なことに今では違うイスラエル人の顔を
殆どのパレスチナ人が知りません。
私は多くのパレスチナ人と同様、イスラエル人ととても親しくしていました。
その関係は今も続いていますし、これからも続けます。
こうした関係は絶対になくしてはならないのです。
それは単純な理由からです。
平和は政府同士が築くものではありません。
必要なのは人間同士の関係です。
何故私がそう思うか、私個人の話をします。
私にはイスラエル人の素晴らしい弁護士で心からの友人がいます。
タマルさんといいます。
彼女は度々私の家族を訪ねて来ました。
ガザでは私の家に泊まりチョコレートや玩具などの
お土産を持ってきてくれました。
30分、一時間と子供達とお喋りをし、子供達も彼女が大好きでした。
私は毎回、毎回その度毎、彼女を家族に紹介しました。
娘と息子に「この人はタマルさんだよ。
イスラエル人、ユダヤ人だよ。タマルさんは弁護士で私の友人、
君達の友人なんだよ、分かるかい」と話します。
子供達は皮肉交じりに言ったものです。
「父さん、聞き飽きたよ。
そうさ、タマルさんはイスラエル人で僕達の友達だよ」
ガザでは特に私の地区で何かが起きるとそれは直ぐに伝わります。
タマルは私達の地区に爆撃があったと電話をかけてきました。
娘が電話を取りましたが、応えません。
私は娘に「誰かの電話」と聞きました。
娘は無言で私に受話器を渡しました。奇妙なことです。
私は電話をとり、「どなたですか」と聞くと
タマルは「ラジ、大丈夫?」と聞いてきました。
「家族は?奥さんは?お子さん達は?ご近所のみなさんは?
怪我などしていない?」
私は「大丈夫だ」と答えました。
すると彼女は、「どうして娘さんは私と
一言も話さなかったのかしら」と言うのです。
私は「僕にもよく分からないんだ」と答えました。
しばらくすると息子も来たのですが、その時、娘は、
「電話を切って」と言うのです。
私は言いました。
「え?、ちょっと待て、電話を切れと言っているの?
タマルさんからだよ。
イスラエル人の友人の、君の友人の弁護士のタマルさんなんだよ」
すると娘は「分かってる。彼女達が私達を殺しているのよ!
電話を切って!話しちゃダメ!」と叫びました。
何年も何年も掛けて築いてきた関係が一瞬で失われるのです。
受話器の向こう側にいるタマルは、アラビア語が分かります。
彼女は娘が何を叫んだのか理解できました。
私はタマルに「申し訳ない」と言いました。
彼女は「ラジ、何が申し訳ないの?何を謝っているの?
人間なら当たり前のこと。私にはよく分かる」
そう言って彼女は激しく泣きました。

このような分断、このような戦争。
私達双方の間に建てられた目に見えない壁,
このような心理的な分断こそが現在最も危険なことの一つです。
既に危険ですが、未来にとっても危険なのです。

〈徐京植氏〉
つまり分離壁というのは、心理的に相手を引き離す。
見えない向こうにいるのは人間ではない。
悪魔であるというという風な装置ですね。
特に貴方は御自分のお嬢さんのことを仰ったけれども
若い人達が人間に対する共感を失うということがもたらす犠牲というものが
余りにも甚大であるから、つまり分離壁、あるいは目に見えない壁でも、
それをつくること自体が許しがたい犯罪である。

それに非常にシンクロした状況が全世界で進行していて、
この日本でも進行している。
ここには物理的な分離壁が無いけれども、
相手を見まいとする、相手を見ても理解しまいとする、
そういう力というものが大した抵抗も受けずに進んでいる。

そういう意味で、分離壁とか、ガザの人々が置かれている状況は、
今は分離壁に囲まれていない私達全員に対する警鐘であると、
警戒せよというサインであるという風に私は考えています。
つまり我々の誰もがそこでこの人間に対する非人間化を傍観するのかどうか
ということを選べという風に問われているんだという風に思うんですね。

ラジさんの揺ぎ無さというものは、法とか法的正義という
ものへの確固たる確信に基づいているように感じました。
しかし国際法で宣言されたことが現実には無視されたり、
力によって踏みにじられてきた歴史を
我々は一方では生きてるわけですね。
そうだとすると貴方の法的正義に対する確信というものは
何故そう強く持ち続けることができるのか。

(ラジ・スラーニ氏)
法は完璧ではありません。また全てが完璧な法もありません。
しかし法とは、社会が認めた人間の基準です。
世界が二つの大戦、とりわけ第二次世界大戦を
経たことによって得た結論なのです。
提唱者の中にはユダヤ人もいました。
悲劇を二度と繰り返さないために。
法の支配、民主主義、そして人権。
これらは世界の片隅でも尊重されるべきです。
単なるスローガンではありません。
人類が経験から導き出した最上の、何にも勝る収穫物なのです。

私は世界市民の一人として与えられた責務を果たしたいと思っています。
私が暮らしている地域や場所、私自身が携わっている個別なケースに
その基準を当てはめることで私は人類としての貢献がしたいのです。
法の支配を社会に適応させることが私の世界における役割だと思っています。

私はできの悪い弁護士です。
イスラエルの裁判所で勝訴したのは千件近い訴訟の内、22,3件です。
ですが自分は三流の弁護士だとは思っていません。
むしろ逆だと考えています。
私達はこの35年間、パレスチナ・イスラエル紛争を地球上で
一番法的にきっちりと記録された紛争の一つにしてきました。
これは私達が成し遂げたことの一つです。

今尚ガザは封鎖されています。
私達は世界のあの場所で最善を尽くしています。
弁護士として全力を尽くします。
結果だけが問題なのではありません。
私は人生の最後の日まで残された私の時間を人権のため、
人間の尊厳のために費やそうと思っています。

(ガザにまた帰って行くのですね、あと二、三日すれば)
帰れる私はとても幸せです。

---------------------------------------------------------------------------------------------
(2014.11)
ラジ・スラーニ氏講演 / 土井敏邦「ガザ攻撃 2014年夏」
http://www.youtube.com/watch?v=AZu6aJntdPI

ラジ・スラーニ氏講演
「パレスチナで何が行われているか
知らなかったで済まされるでしょうか
特に欧米や日本などは知っていたはず
我々は謝罪を求めているわけではありません
求めているのは正義です
“良いパレスチナ人は死んだパレスチナ人だけだ”
“それ以外はテロリストだ”と言われる
私達は被害者になる権利さえありません
被害者になる権利を否定されています
被害者になる権利を持つのはイスラエル、ユダヤ人だけです
彼らに権利があって私達には無いのです
これは恥ずべきことです
誰であれ流れる血は尊いはずなのに」

土井敏邦氏
http://www.doi-toshikuni.net/j/index.html
「ガザ攻撃 2014年夏」
発電所所長
「単に戦争や殺戮だけでなく戦争後も続くのです
生活にとって根本的に必要なニーズを求めて
生き延びなければならなくなります」
・電力が足りないため水道が止まり水不足
・病院ではたびたび停電
 人工透析器内のポンプを手で動かす
・電力不足でポンプが動かず
 処理施設に遅れない汚水を貯水池に
下水処理施設所長
「重要なことはあそこに国連機関の飲料水の井戸があることです
その水質に悪影響を与える危険があります
地下水が汚染される危険です」
空爆で破壊された灌漑用ポンプ
農業にも深刻な被害=食料品価格の高騰

ラジ・スラーニ氏来日・報告
http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20141112.html

「ガザの人権を考える」
ラジ・スラーニ氏講演とガザ映画上映会
http://doi-toshikuni.net/j/info/201410raji.html

イスラエル軍のガザ攻撃 ラジ・スラーニ氏・インタビュー(7月10日)<全文公開>
http://middleeast.asahi.com/interview/2014071400002.html

---------------------------------------------------------------------------------------------
<参照>
2010年6月
ラジ・スラーニ弁護士に聞く パレスチナ人の人権と和平
http://ima-ikiteiruhushigi.cocolog-nifty.com/palestine/2010/06/post-964f.html

2007年6月
イラン・パペ:民族浄化と帰還権を語る (THE DOHA DEBATES:BBC)
http://ima-ikiteiruhushigi.cocolog-nifty.com/palestine/2007/06/the_doha_debate_8f0a.html

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