「中東ビジネスレポート:レバノン」(BBC)
「IPTカードはレバノンが今後力を入れていきたいIT産業を代表する会社です。
銀行のカードやテレフォン・カードを作っており、中東全域に輸出しています。
以前はベイルート空港から貨物便で輸出していましたが、
滑走路がイスラエルによって空爆されたことで、
IPTはトラックによる輸送を余儀なくされています。
しかし道路も破壊されている為、到着が遅くなり、
顧客の半分に契約を破棄されてしまいました。
戦争による損害額は250万ドルに達しています。
(HISHAM ITANI:Chief Executive,IPT Cards)
『10日から14日の遅れが出ています。
これではどうしようもありません。
契約を解除した顧客を責める訳にはいきません。
我々は戦争中だったんだから待ってくれという訳にはいかないんです。
道路が封鎖されて、空港に設備もない状態では、競争はできません』
IPTは大企業で年商は五千万ドル。
この戦争による損失も今後取り戻すことができるでしょう。
しかしベイルート北部に拠点を置くパワースティール社はそうはいきません。
建築材を作るこの小さな企業では
カタールやイラク向けの造船用の材料を輸出しています。
大金をかけてシリア経由で輸出していますが、
到着が遅れることで契約を失っています。
今後資金不足で工場閉鎖に追い込まれる可能性もあります。
(HILDA KFOURY:Power Steel )
『ここで使う資材の価格が高騰しています。
経済閉鎖がある為、輸入もままなりません。
今後二か月が勝負です。
一か月、最高でも二か月で資金が底をついてしまいます。
そうなれば閉鎖です。
新しい契約を獲得できるという希望がなければ
工場を維持することはできません』
輸出することができないことで外国との契約を
失うという例はレバノン中でみることができます。
戦争は終わりましたが、イスラエルが経済封鎖をしていることで
ビジネスの立て直しは不可能となっています。
その為、損失を受けた工場などの為に特別援助が
レバノン産業連盟から出されることになりました。
ビジネス再建の為の融資などが実施されるということです。
再建の為には輸出が必要です。
しかし輸出は以前の五分の一にまで減少しており、
今後輸入材料の不足から輸出は更に減少しそうです。
(FADI ABBOUD:Association of Lebanese Industrialists)
『イスラエルから首を絞められているような状態です。
イスラエルはレバノンのインフラを破壊しようとしているんです。
それによってより多くのレバノン人が国を離れています。
レバノンの製品はソフトウェアーやその他の分野でも
優秀なものが多いのでそれを他の国をとられたくはありません』
イスラエル軍は封鎖はレバノンに
武器が入らないようにする為と主張しています。
政府がより良い方法を提供すれば封鎖を解除するということです。
しかし、では何故、輸入だけではなく、
輸出まで阻止する必要があるかとの疑問の声も出ています。
レバノン政府は戦争の被害額は36億ドルに上ると言います。
シドンのオルウェリ橋、ベイルートとレバノン南部を結ぶ高速道路です。
今建設会社ジェニコの作業員が瓦礫の除去作業を行っています。
ジェニコはハリリ一家が所有する会社で、
13の橋を建設する為、850万ドルを出しました。
六か月で建設を完了する予定です。
(BASHEER DIMASSI:Geneco)
『ダメージを評価しなければなりません。
スティールやコンクリートの構造は使えるかもしれません。
数年前に完成した新しい橋ばかりなので使えるかもしれません』
政府は民間セクターの資金援助が必要だと言います。
レバノン政府の財政赤字は440億ドルに上ります。
政府だけでは賄えません。
ベイルート南のバフィア地区、ここでも瓦礫の除去作業が行われています。
ヒズボラの拠点とされていた所ですが、
瓦礫の除去作業、また新たな建設作業はヒズボラが出しています。
政府は外国からの資金を募っています。
フランスが組み立て式の橋を先週ベイルートに運びました。
こうした作業の手配を主導している人が
公務員ではなく、民間ビジネスマンです。
エリアット・ブサブさんはその一人、UAE・レバノン友好協会の会長です。
レバノン南部の学校、病院、建設を手掛けています。
地元企業、地元住民を雇うことが鍵だと言います。
(ELIAS BOUSAAB:UAE-Lebanon Friendship Association)
『話をした、興味を示す人は皆地元の人を雇うことが重要だと言います。
戦争は悪いことです。決して良いことではありません。
しかし復興作業が適切に行われれば、
経済にとって、地元の人々にとって良い結果をもたらします』
(MOHAMMAD AL SAFADI:Minister of Public Works & Transportation)
『まずは仮設の住居を建てること。
それから恒久的な家屋を建設しなくてはなりません。
人々は元の村や町に戻ってもテント暮らしをしています。
あるいは友人の家に身を寄せています。
人々の尊厳を回復しなければなりません。
我々は資金援助よりも物理的な援助の方が重要だと考えています。
橋や道路を再び造らなくてはなりません。
住宅を建設しなければなりません。
そのような復興プログラムが必要です』
<裕福な家族が資金を提供するいわゆるボランティア活動はどのくらいの
割合を占めるんでしょうか、国が担当するのはどのくらいの割合ですか>
『100%無償の援助が必要です。
それが望ましい訳ですが、それはほぼ不可能でしょう。
我々としては75%が無償援助、もしくは寄付。
後の25%を政府が負担する方式を考えています』
<外国からの援助を求めるとしたら、
下請け会社もその外国の会社が入り込んで来るんじゃありませんか。
それはレバノンにとってプラスではありませんよね>
『外国企業が資本参加するとしても、
下請け会社はレバノンの会社を使って欲しいと思います。
レバノン人を雇って欲しいと思います。
そのように説得したいと思います。
そうすれば問題はなくなります』
『20から30億ドルが必要です。
政府歳入は60から70%減っています』
バーやレストランは再開しています。
I love you Lebanon
ジョーアシュカさんが歌っています。
戦後レバノンの若者の愛唱歌となりました。
土曜日の夜、クラブ、カジノで演奏されています。
人々は戦争中一か月家の中に閉じこもったきりでした。
戦争が終わって外出し始めました。
『33日間、刑務所暮らしのようでした』
(JIHAD ASHKAR:Co-owner,Casino nightclub)
『戦後皆が外出しています。
以前はここにアラブ人や外国人が溢れていました。
しかし今はレバノン人だけです』
ベイルートの丘陵地帯にあるプリンタニアホテルの朝。
戦争中は爆撃を逃れて人々がここに集まりました。
しかし今もプリンタニアホテルなどの
ホテルの部屋の占有率は五分の一以下です。
(PIERRE ACHKAR:President, Lebanese Hotellers' Association)
『今年前半は2004年の20%増しの観光客が来ました。
だから良い調子だと思っていたんです。
でも72時間でレバノンが一変しました。
観光客が一斉に引き上げました。
国のイメージが戦争によって悪く変わります。
また最初から宣伝しなくてはなりません』
外国人観光客の三分の二が他の湾岸諸国からの人でした。
ここの自由でエキサイティングな雰囲気を楽しんでいました。
過去四年間、観光客は増加していました」
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