「分析・イラク新政権」酒井啓子(世界6月号)
・ダアワ党は亡命イラク人諸勢力の中では、例外的にイラク戦争に反対し続けて
きた政党。米政権との関係も2002年までは公式の接触を拒否してきた
・副大統領のSCIRIのアブドゥルマフディは、60年代にはバアス主義、毛沢東
思想に走った後、70年代にイスラーム主義に転向。その時代の「革命」思想を
左へ右へと渡り歩いてきた人物
・国会副議長のKDP(クルディスタン民主党)のタイフールは、96年にKDPが
フセインと手を結んでPUK(クルディスタン愛国連盟)を攻撃した時の司令官
<容バアス党路線から反バアス党路線への転換>
・第四党(五議席)の「イラキューン」が組閣に参加しているが、
第三党(四十議席)のアラウィの「イラク・リスト」は全く登用されていない。
・ダアワ党はフセイン政権下で「ダアワ党員は死刑に処せられる」
との法律を制定された経験を持つ唯一の政党
<クルドによる治安権確保要求>
・主要勢力の多くが独自の民兵組織をいまだに維持し、それを母体に
将来の治安体制を確立しようとしていること
(クルドのペシュメルガ、SCIRIのバドル旅団)
①軍や警察が政党の民兵に独占されて国家機構が政治的中立性確保できない
②中央軍とは別の政治性の強い民兵組織が各地域で自立的な治安システムを
確立し、中央による治安対策が困難となる
・本来イラクの政治勢力が有する民兵組織は、一年前の暫定政権成立時に
解体され国軍に編入される予定であった
・ペシュメルガへの例外措置は、他の政治勢力にはダブルスタンダードと映り、
その後の治安維持、反米勢力の武装解除に障害となった
「ペシュメルガは温存されているのに何故自分達のみが解体を強要されるのか」
・クルド側の自治権拡大の核は、自治区での軍事・治安権の確保にある
・「ペシュメルガを公式民兵として存続承認するかわりに、SCIRIのバドル旅団
などの他の11の民兵組織も同様に公認する」との合意が成立(ハヤート紙3/21)
<イスラーム「革命」勢力の登場>
・新政府の特徴を一言で言えば、「静かなる『革命政権』」
・ダアワ党、SCIRIは、少なくとも湾岸戦争以前は「イスラーム国家建設」
という目標を公言してきた
・イラク・イスラーム党は、スンニ派イスラーム運動としては最も老舗の
ムスリム同胞団を母体とし、歴史的にサウジ、エジプトの同胞団と密接な関係
<ダアワ党首相の持つ意味>
・ダアワ党は80年代にイランに亡命。90年代半ばに在シリア、在ロンドン支部と
在テヘラン支部の間で方針の齟齬が顕在化し、98年にはイランへの忠誠を明言
するテヘラン支部とロンドン支部が衝突、ロンドン支部が党の主導権を握る。
この時主流派の頂点に立ったのがロンドン支部のジャファリ。
・ダアワ党は長年イラク国内で活動。その為ダアワ党は他の亡命政党のような
「余所者」扱いをされずに済んでいる。
・戦後イラクでの世論調査ではダアワ党への支持率が常に最も高かった。
・親米亡命政党が並ぶ新政府の中で、唯一一定の大衆的支持を得ている
・「多元性を認めた穏健路線」
・「現在の移行政府で早急なイスラーム化政策が取られることは
あまり考えられない」
・ダアワ党とSCIRIは統治評議会時代、既存の世俗民法を廃止しようとした
・南部湿地帯のゲリラ指導者だったヒズブッラーのムハンマダーウィは三月、
統一同盟からの離脱を表明
・サドル派はその一部が「国民エリート団」として選挙に参加し三議席を獲得
「早急に組閣が実現できなければ連立交渉の内情を暴露する」
・イラク統一同盟にはサドル派に近い急進的イスラーム主義勢力も含まれている
(ファディーラ党:南部諸県ではダアワ、SCIRI以上の支持を得る)
「スンナ派、シーア派、クルドのそれぞれの社会は、異なる戦後復興の段階に
あって、それぞれの「そこにある危機」に関する認識が異なってしまった」
<私の感想>
ダアワ党とSCIRIの、歴史的形成過程、構成実体、支持層等々については、
酒井啓子女史の「イラクにおけるシーア派イスラーム運動の展開」で学んだ。
宗教学者主体のSCIRIと、商人に支持基盤・担い手を持つダアワ党。
ダアワ党は、その構成実体・支持層からして、SCIRIのような、宗教的イスラム
原理主義とは一線を画している。ましてやイスラム原理主義過激派ではない。
「イスラーム勢力」と一言で言っても、その思想内容、路線、支持層等々、
言わばその「イスラーム度」が違う。
他の政治勢力(クルドや世俗派等々)との力関係で、一定の方向性が決まって
いくのでしょうね。
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