3・11を思索する:酒井啓子:「アラブの春」と「ウォール街」と「3.11」をつなぐもの / 徐京植:フクシマを歩いて / 若松丈太郎:桜と予言と詩人 神隠しされた街 / 希望の国:園子温
酒井啓子:「アラブの春」と「ウォール街」と「3.11」をつなぐもの
http://www.youtube.com/watch?v=_V4Ihjj1-1Q
http://www.veoh.com/watch/v31145111jd8gDhbx
酒井啓子女史はアラブ研究の第一人者だ。
イラン・イラク戦争中の1980年代のイラクでの経験を述べている。
「いかに独自に情報を得て、いかに正確に分析するか。
それは戦時下のイラクの人々にとって、死活問題である。
お上からの情報が信頼できなかったり、限られていたりすれば、
ただそれを盲信するようなことはなく、
自分たちなりに事態を総合的に把握し、さまざまな視角を持とうとする。
独裁政権の下では庶民が情報統制で洗脳されているのではと思われがちだが、
実際は間逆だ。信用できない情報しかないと知っているからこそ、
さまざまな情報を知ることに貪欲になる」
「その姿は、ただ「物知り」になるために国際情勢のニュースを
漫然と聞いている日本の庶民とは、全く違っていた。
自分で情報を集めることが自分の生き死ににどれだけ直結したことであるか、
イラクの人々と普通の日本人とではその感覚が大きく異なっていたのである」
ただし、
「政府の大本営発表に惑わされず、自助努力で事態を把握しようとしている
震災、放射能被害の当事者たちを除けば」
確かに紛争真っ只中の庶民と『平和』な日本の庶民との
“日常感覚”が異なることは当然だとも思う。
しかし、その日本でも、福島の事故により、
「自分で情報を集めることが自分の生き死にに直結したこと」になってしまった。
「お上」の情報が信頼できない者にとっては、
好むと好まざるとにかかわらず、そうせざるを得なくなってしまった。
「新しい情報テクノロジーがどういう点で彼らの意識を変えたのか」
「社会の側が国家とは別に情報を持ちうるのだ、ということが、
国家と社会の関係を決定的に変えたといえる」
つまり、「お上」の情報が信じられないなら、
別の情報源から情報を収集すればよい。
それがネットからの情報だ。
ネット情報は玉石混交で、非常に有益なものもあれば、ゴミ情報も多い。
情報を自分自身で取捨選択する力も求められる。
「お上」の線量情報が信じられなければ、
自分で線量計を購入し、自分で計測する。
しかもそれをネット上でお互いに情報交換する。
原発再稼働の動きに対しては、デモや集会を行い、抗議し、座り込む。
現状はここまで進んだと思う。
それは画期的な進歩だと思う。
しかし、それでも阻止できなければどうすればよいのか。
それは次に問われることだと思っている。
酒井啓子女史は、このように結んでいる。
「自分たちを見捨てるシステムに安住することは、
それは自分たちの生き死にを脅かすことなのだ、という新しい意識が、
先進国でも途上国でもともに芽吹いたのが2011年だった。
それが、それぞれの環境で次にどのような行動となって現れるのか。
あるいは危機を体験したことで得た、知識と情報が
身に染みる「他人事じゃない」という感覚が、
危機が喉元を過ぎたことで再びただの「物知り」に戻ってしまうのか。
それはアラブ世界だけの話でも、ウォール街だけの話でもない。
私たちの震災後の世界の話なのだ」
「アラブの春」と「ウォール街」と「3.11」をつなぐもの
http://www.msz.co.jp/book/magazine/201203.html
アラブの春とウォール街と3・11をつなぐもの
http://www.taji-so.com/my_tajiso/article.php?all=108
「遅ればせながら、日本もまた、震災と原発事故を経て、お上に牛耳られて
いるものに疑問を投げかける契機が生まれているのではないだろうか。
お上が調べないものを自分たちで調べ、自分たちで対処する。
複数の情報を自分たちなりに分析し、納得のいく対応をとろうとする。
それはおそらく過去数十年の間で日本で初めて、どういう情報を持っているか、
どういう知識を持っているかが人々の生き死に直結する事態が発生したからだ」
---------------------------------------------------------------------------------------------
桜と予言と詩人 神隠しされた街 若松丈太郎 アーサー・ビナード
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/109863.html
http://www.youtube.com/watch?v=Zcr13_1Uk70
---------------------------------------------------------------------------------------------
在日朝鮮人作家徐京植氏が福島を巡る。
南相馬市在住のスペイン思想研究者佐々木孝氏との対談。
福島の朝鮮学校の現状
生命そのものの基盤を破壊する“根こぎ”というキーワード
ディアスポラ
「破局という現実が非現実的なものに思える
同心円的に遠ざかっていく想像力
離れると見えないけど離れないと見えない同心円のパラドックス
避難を拒否した老婆 国家に対してたった一人で対峙している
一人一人に国家とは何かを突きつけられた
日本社会は非常時になれば非人間的になる
法律というものは末端にくると非情なものになる
国民を守るものが一瞬で管理するものに変わる」
フクシマを歩いて 徐京植:私にとっての「3・11」こころの時代
http://www.veoh.com/watch/v26693263ZYJArHSK
南相馬市在住のスペイン思想研究者佐々木孝氏
モノディアロゴス
http://monodialogos.fuji-teivo.com/
私はこの町に残る
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tohokujisin/list/CK2011032202100025.html
私は福島第一原発事故以降、数値データや
放射線とDNAという科学的知識とかばかりに目を向けていた。
もちろんそれも大切なのだが、
そもそも人生の基盤そのものを奪われるとはどういうことなのか
という観点から考えたことはなかった。
そういう意味では色々なことを考えさせられる番組だった。
避難を拒否した老婆は、
国家に対してたった一人で対峙しているという解釈、
法律というものは末端にくると非情なものになる
国民を守るものが一瞬で管理するものに変わるという意見には、
考えさせられた。
「現実と超現実とが転倒した世界」
確かに原発周辺の現実はそのように眼前に実在する
原発事故は天災ではなく、人災なのであり、
原発事故で人生を“根こぎ”にされ
ディアスポラとされたことへの
怒り、悲しみ、絶望にどのくらい想いを馳せているか
どのくらい自分のものとして受け止めているか
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐---------------------------------------------
希望の国 : 園子温
http://www.youtube.com/watch?v=lz0AfTKjVDw
http://www.dailymotion.com/video/xtum5i
「皆がよく知っているエピソードばっかだと思うんだよね。
知ってるけど、知ってるだけじゃんというのがあるのよ、今の日本人て。
知ってるだけで、それで終わってるというかね。
ただの再現ものにはしたくなかった。
だからすごくドラマティックにはしてあんですよね。
より明確に短く端的に本質的なところだけを抽出したかったんで。
“ああ良かったな”っていうか、
やっぱりちょっと攻撃的な映画には間違いないっていうか、
ほのぼの癒す映画ではないのは確かなんで、
皆が自分の問題だと思えばいいと思うんですよ。
僕がやり過ぎることによって、
鈍感な人達も自分の問題だと思えばいいと思う」
希望の国 : 園子温監督に聞く
http://www.youtube.com/watch?v=gk7I8YmDaf4
http://www.dailymotion.com/video/xudvtb
http://www.veoh.com/watch/v38858843CZmXZSDz
原発事故の問題が風化するのではという危機感
この映画を“使って”皆さんがもう一度原発について色々語り合って欲しい
自分の中では三度目の被曝、だから架空の長島県というのは、
広島、長崎、福島という三つの被曝した県の合体
我々は本当に悪夢と対峙してきたのだろうか
映画というのは、自分にとって“巨大な質問状”
映画はニュートラルに創って、様々な立場の人に自分の答えをつくって欲しい
“知ってる”のと“感じる”のは全然違う
追体験して欲しい
知識・情報ではなく、情緒・情感で
心のもう一つ“引き出し”をつくって欲しい
自分の中で答えを出して頂ければ
絶望を経験しているからこそ、絶望を超えた希望を
希望は絶望と隣り合わせ
暗い闇の中から差す光、一条の光
希望は心で思うことであって
目に見えることが絶望だらけであっても
心の中に希望さえあれば
希望の国:原発事故を映画化 あえてドラマで心象描く
http://www.youtube.com/watch?v=9Vj-Ut_3zgQ
http://www.dailymotion.com/video/xuedga
http://www.veoh.com/watch/v38881839P62zsZFc
報道でも原発について風化してきたと焦り
この映画でもう一回原発を話題にして欲しかった
知識とか情報で知ってるだけで
実は“本当のことは何も感じてない 知らないんだよ”
ということを伝えたかった
同じ体験・経験をこのドラマで観客がすることで
今まで知っていたつもりが
全く知らなかった 経験できてなかったということが
この映画を観ると伝わるかなと思う
ここの土地で苦しんでいたり
あるいは自殺した人もいる
そういう人達がいるにもかかわらず
映画の中だけハッピーエンドにした場合
それで大丈夫かなっていうのがあったんですね
それはこの映画の持っているテーマの“定め”と思っています
希望の国 : 夏八木勲
http://www.youtube.com/watch?v=AFaIvhoDpjA
http://www.dailymotion.com/video/xtuz4k
希望の国
http://www.kibounokuni.jp/
監督インタビュー
http://www.kibounokuni.jp/director.html
希望の国:園子温
http://www.littlemore.co.jp/store/products/detail.php?product_id=842
心の中に「希望の国」福島原発事故、初の劇映画
http://megalodon.jp/2012-0925-0903-24/www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2012092102000126.html
映画『希望の国』予告編
http://www.youtube.com/watch?v=Z0ectOihACs
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
主権在民:西山正啓
http://www.youtube.com/watch?v=fUa14jZpzQ4
http://www.dailymotion.com/video/xv7r3i
http://www.veoh.com/watch/v40415864WqD3wJqA
「今度の原発事故に関しては当時の責任者は誰も責任をとっていない。
そのことをきちんとしなければ次の時代に向かっていけない。
言葉で主権在民と言っているけれども
本当に強い意識を持ってやってただろうか
一人一人が自分の存在を懸けて
告訴するっていう話ですから
これこそ主権在民だと僕は思うんですよね
怒りを持ちながら愛情を持って色々かかわってる人達の言葉を
ちゃんと聞き取って欲しいって気がしますね
原発の問題は全国54基あるわけですから
全員が当事者なんですよね
大阪も大飯原発が日本で今唯一稼動しているわけですからね
そういうところを想像力も含めて観て欲しい」
福島原発告訴団
http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/
2012.9.22 福島原発告訴団全国集会 その1
http://www.youtube.com/watch?v=eRPerHgWzDA
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
おだやかな日常:内田伸輝
http://www.youtube.com/watch?v=nBMwVlP-N_s
http://www.dailymotion.com/video/xvfgxk
http://www.veoh.com/watch/v40777980daySY4Nj
子を持つお母さん達が不安を訴えていた。
周囲の人達から白眼視される。
是非ともそういうお母さん達を
主人公にした映画を創りたいと思った。
メディアに対して徐々に不信感が芽生え
メディアとネットの情報の違いに
自分自身が不安になっていった
それが映画の中に反映している
3.11以降、震災前の穏やかな日常を奪われてしまった
ネット上であるお母さんが、
「原発事故により未来を奪われてしまった
未来を返して欲しい」と訴えていた
未来を取り戻そうと努力する映画だと思っている
おだやかな日常 公式サイト
http://www.odayakafilm.com/
映画『おだやかな日常』予告編
http://www.youtube.com/watch?v=EGQUEXCvuJU
釜山映画祭2012:「おだやかな日常」Q&A
http://www.youtube.com/watch?v=bWvqafBlni8
---------------------------------------------------------------------------------------------
「わすれない ふくしま」四ノ宮浩監督
http://www.youtube.com/watch?v=7JSg3eqqQd4
わすれない ふくしま
http://wasurenai-fukushima.com/
http://www011.upp.so-net.ne.jp/office4pro/jpg/asahi_20120317.jpg
原発さえなければ
http://www.youtube.com/watch?v=TaTZQ0jg_uU
「原発さえなければ」ある酪農家男性の死
http://www.tv-asahi.co.jp/dap/bangumi/hst/news/detail.php?news_id=20816
福島県相馬市で14日、酪農を営んでいた54歳の男性の告別式が行われた。
原発さえなければと思ます
残った酪農家は原発にまけないで頑張て下さい
先立つ不幸を
仕事をする気力をなくしました
姉ちゃんには大変おせわになり
長い間おせわになりました
ごめんなさい
大工さんに保険金で支払って下さい
馬鹿につける薬なし
原発で手足ちぎられ酪農家
やる気力なくした
ごめんなさい なにもできない父親でした
仏様の両親にももうしわけございません
原発さえなければみんな平和に暮らせた
この弟が逝かなくて済んだのに
酪農家の人たちがこの後を追わないようにね
一人も負わないように
こんなことがあってはならないから
今国会でこの総理が駄目だ あの総理は駄目だと
喧嘩してる矢先じゃないでしょう
もっともっと国民のために働かなくちゃなんねえのに
なんのあのザマ
みんな笑ってますよ 国民が
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐---------------------------------------------
(豪ABC) Wave of Despair:絶望のうねり
http://www.youtube.com/watch?v=goNwJT-mlq0
http://www.veoh.com/watch/v35238515CT5XHjwT
堂前正吾:
「自殺が14件という政府が発表している数字は間違っています。
少なくともその4倍はあります」
渡辺幹夫:
「原発事故により自殺で家族を失った人達がたくさんいます。
静かに苦しむのではなく闘って欲しいと思います」
原発事故で人命は失われていないと主張する人達に対して
磯崎さんや渡辺さんのような家族は福島の人的な悲劇の証言者となっています。
いわきのショウゴのブログ
http://ameblo.jp/hiromi117929
原発事故の避難生活でうつ病になり焼身自殺、遺族が東電を提訴
http://megalodon.jp/2012-0726-0735-57/www.cnn.co.jp/world/30007063.html
福島県川俣町の渡辺幹夫さん(62)の自宅は、
東京電力福島第一原発事故による計画的避難区域の中にある。
39年間連れ添った妻のはま子(当時58歳)さんは、
一時帰宅中だった昨年7月、ここで焼身自殺した。
遺族の代理人を務める広田次男弁護士は、
はま子さんのケースは非常に象徴的だと言う。
「すべての福島の人が同じように感じている。
事件の背後には先が見えないことへの絶望と怒りがある」
Fukushima suicide:'Unspeakable rage'
http://cnn.com/video/?/video/world/2012/06/20/lah-japan-fukushima-suicide.cnn
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
青春リアル:デモで考えたこと なぜ、僕たちはここにいるのか…
http://www.dailymotion.com/video/xvfod5
http://www.veoh.com/watch/v40790051He93JkR6
青春リアル:デモで考えたこと なぜ、僕たちはここにいるのか…
http://www.nhk.or.jp/ss-real/introduction/demo.html
http://cgi2.nhk.or.jp/ss-real/opinion/form2.cgi?cid=19&pid=4626&pgc=0
9月中旬の金曜日の官邸前を取材
なぜ、僕たちはここにいるのか…
・LEDと白熱電球の違いを体験する装置を実演する休学中の大学4年生の青年
・社会学専攻の大学院生から地元の看護学校へと人生の岐路に立つ女性
・新聞記者を目指すも就職に失敗し一年間読書漬け、現在フリーター25才の青年
この三人に焦点を当てて取材している
「本当に普通の自分達と変わらないような
家族連れの方とかお父さん、お母さん世代の方とか
どこにでもいそうな人が参加を一杯してて
たくさんの人がここで叫んでいるのを見て感動した
日本人こんなに行動するんだって」
「何もしないってことは現状を肯定していまうことだと思うので」
「ここに来て初めて誰もが考えるべき問題だと感じた」
「日常の中で忘れてしまいそうな社会問題をデモに来るたびに再認識できる」
「福島で子供を育てる不安を訴えたい」
「急に変化はしないが変わる
ただひたすらに実直に冷静に自分達の意見を訴えることが
ボディブローのように効いていくと思う」
考えてみれば、当たり前のことなのだが、
官邸前デモに参加している一人一人は、
それぞれに背負っている過去があり、
一人一人考えていることも異なる。
そんな一人一人が一つ二つの一致点で声を合わせている
「原発反対、再稼働反対」という声を上げている
一人一人の内面世界にまで踏み込んだ取材は
極めて珍しいが故にとても貴重だと思う
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――-
マンガが原発事故を語り始めた
http://www.youtube.com/watch?v=ixtFd9_8Lf8
http://www.dailymotion.com/video/xvh89n
http://www.veoh.com/watch/v40851596ERZjBwhg
「僕と日本が震えた日」鈴木みそ
http://www.comic-ryu.jp/comics/bokutonihon/
「恐怖から逃れる一つの方法は正しく知ることだと言われる。
正しく知ることでもっと怖いことが分かる場合もなくはないが、
恐怖の多くは見えない不安からやって来る。
怖いから見ないということが結果的に一番怖い。
取材して漫画を描くことで少しずつ
自分の中の未知の恐怖が減っていった気がした」
「原発 幻魔大戦」いましろたかし
「2011年を漢字一文字で表すと“絆”ということになりましたが、
本当は“嘘”だと多くの人が分かっています。
しかしとりあえず“絆”ということにして『頑張ろう日本』なのです。
これじゃますます“絆”はなくなります」
「チェルノブイリ 家族の帰る場所」
チェルノブイリを語り継ぎ、福島を語り継ぐために
「チェルノブイリ 家族の帰る場所」著者インタビュー
http://greenz.jp/2012/04/08/chernobil-lazona/
「みえない雲」
http://www.shogakukan.co.jp/books/detail/_isbn_9784094086584
グードルン・パウゼヴァング メッセージ
福島で深刻な原発事故が起こり収束の見通しも立っていない今、
もうこれ以上原発を動かしてはなりません。
私達のこれからは私達自身で決めましょう。
ドイツや日本だけでなく世界中で
原発をなくす努力をしなくてはなりません。
皆さん、力を合わせましょう」
「なのはな」萩尾望都
「事故の前と後では本当に変わってしまいました。
鎮まらないものを目覚めさせてしまった」
「福島原発の闇 原発下請け労働者の現実」堀江邦夫/水木しげる
「深海魚」勝又進
http://www.seirinkogeisha.com/book/353-2.html
http://www.seirinkogeisha.com/book/sample_flash/shinkai/comicflash.html
だいぶ前から原発には興味があって、資料なんかは集めていたし、
実際に原発労働者の現場を取材したりしている。
原発は、建設中は、原子炉格納容器まで見ることができるし、
運転中は、作業員が服を着替える所くらいまではいけるんですよ。
これまで、五回行ったかな。
カメラを向けたら、係の人に止められましたがね。
原発を見た印象というのはね、僕の場合、否定的だから、
少し先入観で見ているところもあるけど、
外見は、キレイなんですが、中は、普通の工場のような感じがします。
乱雑というのか、配線や配管が剥き出しで、ケーブルがのた打ち回っていたり、
決して美しいとも思わないし、機能美があるとも感じられない。
最先端技術の現場という気はしないですね。
原発の地元の人に話を聞くと、ガンになったり、
無脳児が生まれたりしている話を聞きます。
だけど、そういうことは、あまり広くは伝わってはいない。
病院などでもみ消したりしているらしいんですよね。
僕は、「リトル・ボーイ」でそうした原発労働の現場の実情を
描きたかったんですが、半分も表現できてないですね。
「コミックボックス」1990年1月号(まんがと放射能特集)
勝又進「深海魚」のこと:金平茂紀
http://shinsho.shueisha.co.jp/column/culturedonburi/016/index.html
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
フタバから遠く離れて:船橋淳
http://www.youtube.com/watch?v=2kiThkQo-ck
http://www.dailymotion.com/video/xvj9vo
http://www.veoh.com/watch/v40948292jHkfDN5p
「原発の一番の被害は何なのか
自分達が落ち着いて 家族が足をつけて安心して暮らせる時間を
宙吊りにされて放ったらかしにされて待たされて先行きの見えない」
(船橋淳監督)
映画『フタバから遠く離れて Nuclear Nation』公式サイト
http://nuclearnation.jp/jp/
映画『フタバから遠く離れて』予告編
http://www.youtube.com/watch?v=xgBEAJ_Flu0
フタバから遠く離れて 予告編2
http://vimeo.com/45109825
http://www.jtgt.info/sites/default/files/2012-11-12.pdf
フクシマ双葉町の避難民を記録した傑作ドキュメンタリー
『フタバから遠く離れて』(下)
被災者たちの<時間>を写しとる映画的意思
http://astand.asahi.com/magazine/wrculture/2012110500012.html
牛の殺処分反対を主張する双葉郡・浪江町の酪農家、吉沢正巳さんは、
「この牛たちは生き証人、絶対に生かす」と奮闘しているが、
やがてカメラが写すのは、避難した多くの酪農家の飼育場で餓死して
ミイラ化した牛たちの、無残に「変わり果てた」姿だ。
こうした一つひとつの細部に、どんな「メッセージ」よりも雄弁な原子力政策に
対する舩橋の異議申し立てが、映画的な強度として宿っているのである。
舩橋淳監督『フタバから遠く離れて』
町長の“悔悟”と牧場主の“覚悟”―「原発の町」を逃れた人たちの今
http://www.labornetjp.org/news/2012/1015eiga
井戸川克隆町長が、原発誘致の歴史を苦渋の表情で語るシーンは考えさせられる。
かつて福島第1原発5、6号機の建設で巨額の「原発マネー」を得て
町は潤い、「原発はいいなあと思った」と。
だが、年々カネが入らなくなり、財政破綻に追い込まれて、やむなく新たな建設
承認に踏み切った、その原発経済のしがらみから抜けだせないからくりを語る。
「原発は罪(ざい)の方がものすごく大きい。
誘致そのものが失敗だった」と悔やむ。
「希望の牧場」のシーンも印象深い。
ここの牧場主は、カネにならない被曝した300頭の牛の面倒をみている。
彼は牛と運命を共にする覚悟を吐露する。
近隣の牛舎を案内してもらうと、餓死した大量の牛がミイラ化している。
その惨状に息を呑む。
これでも原発を推進しなければならないのか
人類の明日が予感されて暗然となる。
天皇と棄民『フタバから遠く離れて』text 加瀬修一
http://webneo.org/archives/5103
双葉町の井戸川町長は、カメラに向かって静かに語る。
「世界各地にいっぱいいる自分の住むところを追われた民族。
この方たちが、いまどういう思いをして片隅で生活しているか
ということが嫌というほどわかるようになった」と。
この言葉にはたと気づかされる。
この映画は昨今ジャンルとして括られるほど公開されている
「震災映画」でも「原発映画」でもない。
住む土地を奪われ、コミュニティを破壊された人々を描いた「難民映画」だ。
日本はいま、自国に難民を抱えている。
最後に井戸川町長は「原子力発電所は、功罪の罪の方がもの凄く大きいと
いまは考えている。誘致そのものは失敗だったと思います」と語った。
この発言には大変な覚悟があったと推察される。
井戸川町長とその言葉を引き出すまで真摯にコミュニケーションを
取り続けた舩橋監督に心からの敬意を表したい。
さらに続いた言葉「全く放射能にまみれてない東京の方たちが
栄えたんですよね」が痛烈に突き刺さってくる。
警戒区域に置き去りにされた(残さざるを得なかった)牛の屍骸が
累々と横たわる牛舎の光景。
それは未だに原発に依存し続ける私たちの未来を予見しているかのようだった。
いまこの国は、天皇から子どもまで原発政策の抱える問題の「当事者」である。
だからこそ、ニッポンから遠く離れた視点でこの国の構造と民族を見つめ直し、
考え直さなければならない、「何故それでいいのか」と。
『フタバから遠く離れて』は、流浪の民となってしまった双葉町民の怒りと
悲しみを静かに描きながら、深く力強く私たちにそのことを訴えている。
----------------------------------------------
官邸前デモ:市民メディア
http://www.youtube.com/watch?v=8z_ixCrD0BA
「私達一般人だって情報を発信すれば市民記者」
なぜ市民が「受け手」から「発信側」へシフトしたのか
「マスコミが流してくれないから」
福島の女性が訴える
「ここにもし報道の人がいたら
貴方達は本当の報道陣ですか
ここにもし報道記者とかテレビのカメラマンがいたら心入れ換えなさい
もしこれ以上原発が動いて第二の福島が起こった時には
電力会社の所為、政治家の所為だけではありませんよ
報道陣、お前達の責任でもあるということを肝に銘じて下さい」
中田絵美さん
「市民の頑張っている姿とか声とかをマスコミが伝えないんだったら
私とか皆でその場にいる人が伝えていかないといけない
選挙で何にも変えられなかったという意気消沈する思いというか
どうしたらいいか分かんない
でもこの様子もしっかり伝えないと
皆選挙の結果にがっくりきた感じが国会前の雰囲気からありありと
諦めたら負けなのに
中に入ると元気になりますね
数で判断しちゃ駄目ってことですよね」
Days Japan 2012年9月号
特集:市民による権力の告発 人々の目覚め
官邸前の闘いはこうして広がった:中田絵美
http://www.daysjapan.net/bn/1209.html
8bit News
http://8bitnews.asia/wp/
官邸前デモをヘリで空撮した広瀬隆氏
「もしあの人達(市民メディア)がいなかったらと思うと寒気がしますね。
言い換えるとマスメディア批判ですよ。
(現在のマスメディアには)ジャーナリストの姿が全然見えない。
テレビ局が死んでいるんだったら我々がヘリを
チャーターして日本中に知らせたかった。
それだけ国民が、怒りがね、テレビに向かっているのが感じられたんですよ。
我々の側の問い掛けなんですよね。
本来はこんなことは市民がカンパでやることじゃなくて
テレビが本来やるべきことをやってないことが最大の問題だと思う。
日本の国家が存在できるかどうかという深刻な問題で
それを報道しないんだから僕からみると
はっきり言ってジャーナリズムじゃないんですよ、
マスメディアってのは、今のは。
マスメディアっていうのは、今、インターネットの
人達が伝えていることがジャーナリスト精神
国や大企業が間違ったことしてても反骨精神を持って向かって行って
特に大事なのは、真相を調べ上げていく、
それがジャーナリストの務めだと思うのが、
新聞・テレビがその世界に入って来ないわけですよね。
ただ社会現象みたいにしか捉えてない。
自分達がやるべき役割を果たしてない」
森達也氏
「市民メディアはマスメディア批判でもある。
本来のジャーナリズムの目的、存在意義って権力を監視すること。
権力って腐敗するんですよ、絶対に。
絶対に暴走するんです。
だからこそ権力をウォッチする機関が必要であるということで
ジャーナリズムが生まれるわけで。
メディアとジャーナリズムは本来違う。
メディアは営利企業。市場原理がある。
ジャーナリズムは本来そうじゃない。
日本の場合、余りにもメディアとジャーナリズムが一体化し過ぎてしまっている。
ジャーナリズムの論法とメディアの論法は違うんだから
軋んで当然ですよね、軋まないんです。
綺麗に融合してしまって摩擦がない、それが問題だと思う。
メディアにも問題があるが、市民の側にも問題がある。
メディアを“使う”リテラシー、視点、受身の姿勢・意識」
---------------------------------------------------------------------------------------------
パティ・スミスが語る3.11:原発事故の真実を明らかにすれば日本は変革をリードしていくことができる
http://www.dailymotion.com/video/xxaezk
原発事故の真実を明らかにすれば日本は変革をリードしていくことができる
http://www.webdice.jp/dice/detail/3774
---------------------------------------------------------------------------------------------
(2013.10)
「東の風が吹くとき」
http://www.youtube.com/watch?v=fXUBVUdY-L8
「『直ちに影響はない』?
直ちに影響があったっぺ。
家族はバラバラ、村もバラバラ。
牛は殺せ、田んぼは作るな」
(高木達氏)
「今、福島という名前は、片仮名の『フクシマ』なんですよ。
“原発の事故で汚染された土地”という記号になってしまった。
その中で我々は生きているんだと、
それを全国の人に分かってもらいたい」
いわき演劇の会+いわきアリオス共同企画「東の風が吹くとき」
http://iwaki-alios.jp/cd/app/index.cgi?C=event&H=PAGE&dataID=01135
「東の風が吹くとき」いわき公演/東京公演 east-wind
http://east-wind.jimdo.com/
【東の風が吹くとき】演出家・高木達さんインタビュー
http://alios-style.jp/cd/app/index.cgi?C=blog&H=PAGE&D=00913
東の風が吹くときのブログ
http://ameblo.jp/i-eastwind/
「東の風が吹くとき」告知動画!いわき演劇の会
http://www.youtube.com/watch?v=vPB66f3vHU0
いわき演劇の会「東の風が吹くとき」 原発事故後の不条理を照らす喜劇
http://www.nikkei.com/news/print-article/?R_FLG=0&bf=0&ng=DGXBZO59196790S3A900C1000000&uah=DF270920114364
http://megalodon.jp/2013-1004-1820-30/www.nikkei.com/news/print-article/?R_FLG=0&bf=0&ng=DGXBZO59196790S3A900C1000000&uah=DF270920114364
福島第一原発の水蒸気爆発によって避難区域に指定された農村に留まり、
以前と変わらぬ暮らしをかたくなに守る老夫婦の物語。
米を作り、畑を耕し、牛を育てる。それまでのあたりまえの暮らしを
淡々と続けるのだが、出荷はできないし、牛は処分するよう指導される。
住むことも禁止。にもかかわらず、この夫婦は仮設住宅の名簿にも
現地の住民名簿にも記載されないいわば「幽霊」となって暮らす。
次々と示される挿話は絶望的だ。
どうやって生きていけばいいのか、天をあおぐような事態の連続。
脱サラして牧畜業を始めた男が牛を連れ去られる場面の泣き笑いが痛々しい。
北海道に流れていく息子夫婦の苦悩や岡山へ逃げる孫夫婦の姿には
一家離散の苦難が色濃く映る。
倉治は官房長官の「直ちに影響はない」との官僚的発言に怒り続ける。
家族も村もばらばらになった。
直ちに影響はあったではないかと語気を強めるのだ。
喜劇が鋭い悲しみに転じる作劇に、
この舞台を率いた高木達(とおる)(作・演出)の思いが込められていた。
飲めない牛乳は穴を掘って捨てるしかない。
ならば牛乳風呂を楽しめばよかったと、
苦悩を軽口にかえる人間の強さが笑いのなかから立ち上がってくる。
土に根ざした人間の地肌の輝きが原発事故の不条理を照らし出す。
| 固定リンク
« シリア 2012-13 | トップページ | TPP問題:企業が国を訴える~エルサルバドル 自由貿易協定を巡る攻防 / 選挙公約に違反しオバマが企業の規制回避への支援を望んでいることが漏洩された貿易文書で明かに »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント