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2005.04.30

ベトナム終戦30年 / "アメリカでいちばん危険な男"ダニエル・エルズバーグとペンタゴン文書

(2009.9)
"アメリカでいちばん危険な男"ダニエル・エルズバーグとペンタゴン文書
http://democracynow.jp/submov/20090916-2
rtsp://media.jca.apc.org/dn/2009/dn2009-0916-2.rm
エルズバーグは、かつて反逆罪で起訴されかけました。
後にペンタゴン・ペーパーズとして知られるようになる軍の最高機密報告書を内部告発したからです。
当時のマクナマラ国防長官の命令で作成されたこの報告書は、
1945年以降アメリカの歴代政府がどのようにインドシナに介入し、
国民を欺いて勝算のない戦争にひきずり込んでいったかが記されています。

エルズバーグの勇気ある行動によって政府への信頼が一気にゆらぎ、
ベトナム戦争の早期終結につながりました。
当時のニクソン政権が「アメリカで最も危険な男」と呼んで指名手配した
内部告発者エルズバーグの物語がドキュメンタリー映画になりました。

「終わりの見えない不毛な戦いだと分かっていた。
急進思想でも何でもなく現地を見て勝てないと知ったのです。
オバマが勝利を語るアフガニスタンも同じです。
勝利などありえない。
泥沼化して犠牲が増えるだけだと。

私は自分が戦争に加担したと考えた。

ベトナムに落ちていく爆弾を見ると
たった今爆撃されている
アフガニスタンやイラクと重なります。
こんなことを続けていても泥沼にはまるだけだと」

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「経済成長と共産党支配」(2005.4.27)

8000万人の人口、経済成長年率7%
1995年米越国交正常化
現在、米は日を抜き、ベトナム最大の貿易輸出国

在外ベトナム人=越僑
越僑からの送金はODA総額に匹敵するレベルに達する。
ホーチミン市郊外の高級住宅地フーミーフン:ベトナムのビバリーヒルズ
住民の多くは海外から戻ってきた越僑
五年前、在外ベトナム人への投資上の制限を撤廃
去年は越僑への敵視政策完全撤回を党として公式に宣言
政府はHPでも帰郷を訴えている
海外の若い越僑を招く交流会も開催

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「今も残る戦争の傷あと」(2005.4.28)

枯葉剤被害者は百万人に達する
米政府は枯葉剤と健康被害の因果関係を一切認めていません
80年代に化学メーカーを相手に米兵が訴えた訴訟では和解が成立し和解金が支払われる
米化学メーカーに損害賠償を訴える訴訟
今年三月米裁判所は却下、原告団は控訴を決意
ベトナム政府は被害者に支給していますが、百万人以上に支払う余裕はない

不発弾:北緯17度線のクアンチ省
戦後30年間、クアンチ省だけで不発弾の被害者は七千人
クアンチ省の一部だけで二千箇所
これまでに処理できた面積は半分
米退役軍人会が不発弾処理や被害者180世帯を支援
「彼はベトナム人の痛みを理解しています。わだかまりを癒して協力すべきです」(支援事務所スタッフ)
「ベトナム人は昔の敵である私達元米兵を温かく迎えてくれました。
ベトナム人の寛容な心と和解への姿勢に私は大いに教えられました」(元米兵チャック・サーシー氏)

米司法省は枯葉剤被害者の損害賠償訴訟について、判決を控えた今年一月声明を発表。
「敵国の被害者への損害賠償を認める判例を作れば、
将来、米軍の戦闘行動上の選択肢を狭める可能性がある」

<参照>
枯れ葉剤 / 湾岸戦争症候群
http://ima-ikiteiruhushigi.cocolog-nifty.com/gendaisekai/2008/06/post_ef78.html

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コメント

 「加熱するコーヒービジネス~ベトナム ホーチミン~」
 「地球街角アングル」NHK(2005.5.14(土)放映

 ホーチミン市でカフェが七年前から一大ブーム。

 カフェの周りには毎晩、若者達のバイクが何百台も並びます。
若者達の最新のトレンドは、仲間とカフェで一杯だそうです。

 今年一月に五階建てのディエム・ヘン・カフェがオープン。
最上階の五階は熱帯夜でも涼しく過ごせるオープン・テラス。
四階はミュージック・カフェ。ライブ演奏が楽しめます。
三階は海中をイメージした静かな落ち着いたカフェ。恋人達に人気。
一階から五階まで計1500席が毎晩若者達で埋まります。
この建物の周りだけでも800台のバイクが駐車してありました。

 ベトナム独自のコーヒーの入れ方:カフェ・フィン
コンデンスミルクの上に、フィン:抽出機を載せ、
五分間で滴り落ちる。(一杯170円)
(仏統治下での仏の道具)

 コーヒー・ブームの火付け役となったのは、チュングエンカフェ。
社長は34歳、大学生の時に仲間と操業。今では15000人の社員。
「スタバのような世界的なコーヒーブランドを作る!!」
市内に200ものフランチャイズ加盟店を持つ。(ベトナム全土に500店舗)
マネージャーが毎日巡回し、品質管理。
マニュアルもあり、器具(ロゴ入り)、服装、接客態度等々を指導・管理。
(...まるでマクドナルド...)

 コップとコースターのロゴを揃えて出すように指導していたマネージャーは、
「お客様の要求がどんどん高くなっています。コーヒーの種類だけでなく、
 雰囲気やサービスにもこだわります」

 ベトナムは、ブラジルに次ぐ世界第二位のコーヒー豆生産国。

イリーカフェ:カフェラテ、カプチーノ、エスプレッソなどの新メニュー
オーナーはタイ人。イタリア製の機械を使用。流行に敏感な人々で賑わう。

 家庭でも楽しむようになってきています。
スーパーの棚にたくさんのコーヒーが並んでいました。

投稿: 妹之山商店街 | 2005.05.17 22:22

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