2008.04.09

「兵士たちの記録した南京大虐殺」

http://www.veoh.com/videos/v6608353j9h3gFDf
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「兵士たちの記録した南京大虐殺」
http://www.ntv.co.jp/document/

南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち 第十三師団山田支隊兵士の陣中日記
http://www.otsukishoten.co.jp/search/Detail.asp?ID=2323


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http://homepage3.nifty.com/ima-ikiteiruhushigi/Veoh.html

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2008.03.15

「社員みんなで会社を買った~地方発“EBO”の挑戦~」

http://www.veoh.com/videos/v6422313JHXdYB7g
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社員みんなで会社を買った~地方発“EBO”の挑戦~
http://www.nhk.or.jp/special/onair/080310.html

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2005.03.08

「東京大空襲60年目の被災地図」NHK

 「東京大空襲60年目の被災地図」NHK
 (2005.3.6(日)放映)

 1945年3月10日の東京大空襲
4年前に「戦災殉難者霊名簿」29冊が発見されました。
「遭難地」犠牲者が最後に辿り着いた場所、つまり亡くなった場所を記載して
いました。
遭難地が記録されていたのは、約一万人。
当日の人々の行動記録を知ることができます。
自宅と遭難地を線で結び、地図上にその軌跡を描きました。
被災地図。

 マリアナ基地からの300機を超えるB29
最短距離で東京を目指す。燃料をギリギリまで減らし、その分多くの焼夷弾を
積み込んでいました。東京までの飛行時間は約七時間。
隅田川の東西28.7平方キロメートルが消失予定区域
2時間53分間に32万七千発の焼夷弾が降り注ぐ。
総武線沿線の火災の延焼を防ぐ広い空き地の防空壕に逃げた人が多く亡くなって
いる。
鉄筋コンクリートの国民学校に逃げた人々も亡くなる。
突風に煽られた炎が校舎を貫通。
窓から火が滝のように噴出したという。
プールに逃げ込み助かった人もいる。
しかしプールの底には遺体が多く沈んでいた。
その遺体の上に立って助かった人もいた。

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2005.02.05

「労働者たちの”企業再生”」「“回復工場”の挑戦~アルゼンチン・広がる連帯経済」

「労働者たちの”企業再生”」~アルゼンチン~NHK地球街角アングル (2005.1.12放映)
Argentina fabrica recuperada (VIDEO 19:25)
http://stage6.divx.com/user/LunaticEclipse/video/1468194/Argentina-fabrica-recuperada

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2005.01.20

「イランの民主化は進むか:改革派新聞の苦悩」NHKBS

 「イランの民主化は進むか:改革派新聞の苦悩」NHKBS
 (2005.1.19(水)放映)

 この四年で、百紙以上の改革派新聞が発行禁止処分になりました。

 79年のイラン革命、七千万人の人口の半数は、それを知らない若い世代に
なりました。
こうした若者達は表現や言論の自由を強く求めています。
そうした声が穏健な改革路線を掲げるハタミ大統領を誕生させました。

 イランの改革派新聞シャールグ新聞社を三週間密着取材した記録です。
東という意味のシャールグ紙は、わずか一年でイラン第四の日刊紙となりました。
 首都テヘランの街頭に並ぶ日刊紙は二十紙余り。
そのほとんどが政府の助成金を受けています。
イランの日刊紙の総発行部数は約七十万部。
一番値段の高いシャールグは公称部数十万部。
「発禁新聞最後の生き残りだ」
新聞を売っている街のオッちゃんが言っていました。

 イランの年間交通事故死亡者は二万一千人以上。

 シャールグのスタッフはほとんどが二十代です。
グーチャニ編集長は28歳。イラン全国紙で最年少の編集長です。

 97年ハタミ大統領誕生。
 政党政治が機能していないイランでは、新聞が野党に代わる役割を担い、
政府に変革を求める声となりました。

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2004.12.30

「日本技術陣 一億の地雷に挑む」NHK プロジェクトX

 「日本技術陣 一億の地雷に挑む」NHK プロジェクトX

 NHK HOME PAGE より、
「世界各地に頻発する戦争や紛争。その復興に大きな足かせとなっている
 「悪魔」がある。「残留地雷」である。 現在、地球上に埋まる地雷の数、
 実に1億個。毎月2000人が命を亡くす。
 地雷除去を担当する国連関係者や世界のNGOが熱い期待を寄せる
 日本製の地雷探知機がある。
 「マイン・アイ」。土を掘り起こさなくとも、レーダーで地雷の形状や位置を
 正確に割り出す。より早く安全に、除去が可能になった」

 MINE EYE 創作にかかわるお話でした。

 日本が世界に胸を張って誇れる物ですね。

 紛争後の復興にとって、残留地雷、特に「対人地雷」が大きな障害となって
いるんですね。


大田区・蒲田にある小さなベンチャー企業。冨田洋氏。
最先端のレーダー技術を組み合わせ、コンクリート内部の穴を発見する
検査機器を設計。
これに注目した国連地雷除去担当パトリック・ブラグデン氏は、
「レーダー技術を地雷探査に生かせないか」と持ちかけた。
しかし、国連に予算はなく、無償で開発が条件だった。
 従来の直径50センチ以上の物を識別する能力から、
直径5センチ以下の物まである地雷を捉えるセンサーを開発しなければ
ならない。
開発から二年後の試作機では、テーブルほどの大きさと、
解析に3分掛った。
「遅すぎる」
より小型で、画像処理速度をもっと上げなければならない。
自分達の技術力では限界があった。
大企業に呼びかけた。

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「EU農業が発展途上国を圧迫する」:BS世界のドキュメンタリー

Nailed to the bottom (DivX Stage6 VIDEO 48:41)
http://stage6.divx.com/user/LunaticEclipse/video/1473812/Nailed-to-the-bottom

世界の半数の人達が一日二百円余りで暮らしている中で、
EUの国々では牛の飼育に一日二百円余りの補助金が支払われています。
EUの多額の補助金が発展途上国の新たな飢えと怒りを引き起こしています。

ドミニカ:EUの安い粉ミルクの為、地元の酪農農家は価格競争に負ける。
補助金を受けているのは酪農家だけでなく、乳製品メーカーも粉ミルクを
発展途上国に安く輸出する為に補助金を受けています。
このメーカーは昨年13億円の輸出補助金を受け取り、生産コストより安く
発展途上国に輸出されています。
EUの補助金制度によって大儲けしている企業がある
ドミニカの農民は、この粉ミルクを「征服する牛」と呼んでいます。
ドミニカでは二万人の酪農家が仕事を失いました。
年間約6500億円の補助金を受けるEUの粉ミルクに太刀打ちできません。
EUの発展途上国を支援する事務局はドミニカに約26億円の資金援助を行いました
その一部は高品質の牛乳を大量生産する技術の普及に使われます。
この援助によってドミニカでは牛乳の生産量は二倍に増えました。

「干ばつなどの災害に悩まされ、インフラが整わない環境で農業を続けようと
 している人達から市場までも奪っているのです。
 EUの資金を投じてドミニカの開発援助に協力するのは素晴らしいことです。
 しかし一方でドミニカの農業を破壊しているとしたら援助は何の意味もなく
 なってしまいます」
(国際食物政策方針研究所ペール・ピンストロップ・アナセン)

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「チャベス政権 クーデターの裏側」:NHKスペシャル

 南米ベネズエラ、人口約2500万人、世界有数の産油国。
  
1998年、貧しい生活を強いられてきた国民に「公平な富の分配」を約束して
 希望の星としてチャベス大統領が就任。
1999年、新しい憲法が発布。
 マスメディアは、チャベス派は国営放送1局、財界は民放を5局。
2001年のアフガニスタン空爆に対して、チャベスは、
 市民への「誤爆」の写真を見せながら、これは容認できません。と発言。
 その発言に対して、パウエル国務長官が懸念を表明。
 ベネズエラはアメリカにとって重要な石油供給国です。
 チャベスが国営石油公社の運営に介入し始めると、アメリカはチャベス批判を
 強めました。「チャベスはコロンビアのテロリストとつながっている」と。

 チャベス氏の祖父はメキシコの革命児サパタの指揮の下で闘っていた革命家だ
 そうです。
 チャベス氏は、ボリバルサークルという団体を結成し、
 国民に憲法を読むように等の運動を展開しました。 

2002年2月、チャベスは、国営石油公社の役員人事に介入。
「彼らは国営石油公社さえ私物化しようとしている。私には国際社会から強い圧力が
 かけられてきたが、それでも構わない。たとえ地獄の門をくぐらなくてはならなくても、
 私はやり遂げる」 
 ここから本格的な闘いが始まりました。
「チャベスの支援者たちは暴徒化しています」
「まるでムッソリーニやヒトラーの信奉者のようです」
民放はチャベスの石油産業への介入に対して「国民の財産を侵害するものだ」と批判し、
デモを呼びかけました。
反チャベス派の論調は、
「大統領はカストロ氏に特別な愛情を抱いているようです」
「この国をキューバのようにしようとしている」
「コロンビア革命軍やカストロの手先」
「CIA長官がこの事態に懸念を表明」
 反チャベス派の中心は、
経営者連盟会長カルモナ、労働者連盟会長オルテガ
ブッシュ政権とも接触し、話し合っていたことが分かっているそうです。
4月10日、軍上層部が民放で退陣勧告
      カルモナが民放で反チャベスのデモを呼びかける
4月11日、反チャベスデモ(石油公社へのデモ)
      大統領派は官邸に結集
      反チャベス派は法に触れることを承知でデモ行進のルートを変更し
      官邸へと扇動。
 首都カラカス市長は、国営放送で、
「デモの扇動者よ。無責任な行為はやめてくれ。官邸前での衝突を望んでいるのだろうが、
 我々はあなた方の挑発には乗らない」
官邸前の群集は、
「CIAが絡んでる。アメリカの陰謀だ」
「メディアがこの汚い戦いを扇動している」

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「30年目の戦後処理:アメリカと共に戦った民族」:NHKドキュメンタリー

 今年アメリカはラオスのモン族一万五千人の難民入国を認めました。

 タイ・バンコク郊外、周囲から隔離された二キロ四方の区域があります。
モン族の難民キャンプです。
ベトナム戦争終結当時故郷ラオスを出て難民となったモン族は30万人。
1992年、難民を支援してきた国連は、既に難民問題は解決したとします。
アメリカもこれ以上移住を受け入れないことを決定しました。
その後、タイに暮らすモン族の人達は、難民として保護される資格を失い、
国籍のない不法滞在者として扱われるようになりました。
その数は2万人以上と言われています。
タイ政府は行き場を失ったモン族難民の受け入れをアメリカに要望してきました。

 ベトナム戦争が始まるまで、モン族はラオス北部で焼畑などをして暮らす
山岳民族でした。
 ホーチミンルートをモン族の居住地域に作りました。
アメリカは周辺の地理に詳しいモン族と秘密協定を結び、味方に引き入れました。
ラオス国内で北ベトナムと戦い、軍事物資の輸送を阻止するという役割を任せた
のです。
アメリカはモン族を利用して、中立国であるラオスの中で密かに戦争を遂行して
いったのです。
難民キャンプにはラオスのジャングルでゲリラ戦を戦った兵士が多く残って
います。
アメリカはモン族を武装集団に変えていきました。
モン族がそれまで触れたことのない近代兵器と大量の弾薬を持ち込みました。
更にアメリカは、軍事教官を派遣して、モン族の若者達にゲリラ戦に必要な
戦闘技術を徹底して指導しました。
しかし戦争当時、アメリカはモン族との関係を秘密にしていました。
ベトナム戦争で戦死したアメリカ兵は約五万八千人。
モン族の犠牲者は20万人に上りました。
戦後アメリカがモン族との関係を認めたのは1999年のことでした。
現在ラオス政府はモン族の帰国を受け入れていません。
国内の反政府組織と繋がる恐れがあるという理由からです。
難民としての資格を失って以来、国連などからの援助が受けられなくなりました。
自活するしかありませんでした。
キャンプの中でできるのは刺繍や工芸品を作り、わずかな収入を得ることでした。
それだけでは生活できず、道路工事や農作業の手伝いなどをしてきました。
しかし、国籍も持たない彼らが働くことは、違法労働としてタイ国内での摩擦を
惹き起こすことになります。
難民とは認められず、不安定な立場に立つモン族の扱いに、タイ政府は手をこま
ねくばかりでした。
去年夏、難民キャンプの周囲に突然、鉄条網が設置されました。
タイ政府の採った強硬な手段に、ここで暮らす二万人に及ぶモン族の難民は
衝撃を受けました。
今年7月、難民キャンプにタイの国防大臣が来訪。
モン族の移住をアメリカが受け入れることになったと伝えに来たのです。
(タイ軍のイラク出兵:2003年9月)

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「そこに楽園は無かった」ドミニカ移民苦闘の半世紀:(FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品)

Japanese immigrants to Dominican Republic (DivX Stage 6 VIDEO 43:12)
http://stage6.divx.com/user/LunaticEclipse/video/1467149/Japanese-Immigrants-to-Dominican-Republic

http://www.fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/backnumber/13th/04-317.html

2000年7月18日東京地裁 ドミニカ移民訴訟第一次提訴
昭和29年(1954年)ドミニカ移民の募集
「カリブの楽園ドミニカ共和国」(日経新聞)
「ほくほくの条件」(朝日新聞)
敗戦後の日本、外地から600万人が引き上げ。失業者が溢れていた。
こうした人口の急増に対して国が打ち出したのが移民政策。
南米(ブラジル、ボリビア、パラグアイ)を中心に年間一万人が海を渡る。
ドミニカ移民船アフリカ丸が横浜港を出航(1957年)
「300タレア(18ha)無償譲渡」夢のような話に全国から希望者が殺到
選抜の結果249家族1319人がカリブの楽園へ向かう。
過剰な農村人口を抱えていた鹿児島からは約280人(全体の五分の一)
ハイチとの国境に近い七つの入植地。首都サントドミンゴから西へ200km。

掘っても掘っても石ばかり、とても農地とは思えない荒涼とした荒地
石と石の間にわずかな土を見つけては苗を植え付けていったという。
視察に来た外務省職員には、
「3、4年経てば石も肥料になる」と言われたという。
石の小山は今も当時のまま
別の入植地では塩が地表を覆っていた。

 <日本政府が示したドミニカ移民第一次募集要領>
・「一世帯当たり300タレア(18ha)の土地が無償譲渡」
・「入植予定地は中程度の肥沃度」と記されていた。

 <移住地の実態>
・与えられた土地は実際の三分の一以下
・石や塩の不毛の荒地
・所有権は無く、耕作権のみ

国境沿いの入植地には、同時に囚人までもが送り込まれ、
まるで収容所のような生活は、国の役人に24時間監視され続けた。
そんな入植地を移住者達は、「地獄の一丁目」と名付けた。

自殺した日本人移民が眠る墓地(ドミニカ移民の自殺者は10人)

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