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2005.08.09

「チェチェン」(文庫クセジュ)

 本書は1998年発行。
つまり、第一次チェチェン戦争が終わり、第二次チェチェン戦争が
始まるまでの戦間期に出版された。
従って当然凄惨な第二次チェチェン戦争には全く触れていない。
それでも、第一次チェチェン戦争が生起したさまざまな政治的、経済的背景、
分析がなされており、それがまた第二次チェチェン戦争を生起する諸条件を
構成しているという意味において、貴重な文献だと思う。

 「収容所列島」であった旧ソ連を美化するつもりなど毛頭ないが、
それでも肯定的要素もなくはなかった。教育はその一つだと思う。
多民族国家ソ連では、各民族が相互に交流した。
ハッサン・バイエフの「誓い」を読むと垣間見えたのだが、民族間の差別も
確かに存在した。
しかし、それでも、例えば、チェチェン人はソ連全土に教育、労働、商業活動
等々で出て行ったし、逆にチェチェンにソ連全土から多くの民族がやって来た。
 チェチェン自治共和国に住んでいたのは、チェチェン民族だけではなかった。
数十万人の他の民族も在住していた。
従って、チェチェン自治共和国の運命を決定する権利はチェチェン人のみが
持っていた訳ではなかった。

 チェチェンの石油は、1971年以降激減した。
しかし、周辺からの石油精製拠点となっていた。
ソ連唯一の石油産業学校がグローズヌイに(バサーエフは卒業生)
ハッジエフはソ連邦石油産業担当閣僚
シベリアのチュメニ油田開発にも貢献(五千人のチェチェン人コミュニティ)
石油パイプライン、鉄道、道路のターミナルとなっていた。
特に、アブハジア紛争の為、黒海沿岸を南下するルートが使えなかったので、
カスピ海沿いに南下し、南コーカサスへ向かう主要なターミナルとなっていた。

・チェチェン工業の75%がグローズヌイに集中
・産業比率:工業:44%
      農業:34%
      建設:11%
      運輸: 4%
(チェチェン人の76%は農村部に在住:ロシアのワインの12%、牛乳25%産出)
また、北部にはコサックも万単位で在住していた。

 ロシア中央政界での権力闘争が、チェチェン情勢にも大いに影響を
及ぼしていたことも本書で学んだ。

・1991年:<ゴルバチョフVSエリツィン>
 大統領選挙で、チェチェンでは、エリツィンが、ロシア全体の平均を
 はるかに上回る80%の得票。
 チェチェン最高会議議長ザブガエフはゴルバチョフ派で、共産党改革派。
 チェチェンを自治共和国から連邦構成共和国へ引き上げることを夢見た。
 しかし、独立派からは「軟弱な」改革派として打倒された。
 ロシア最高会議議長のチェチェン人であるハズブラトフとソ連石油産業相の
 ハッジエフは、エリツィンの意向で、ゴルバチョフ派のザブガエフを更迭し、
 ドゥダエフ政権を成立させた。
 しかし、ドゥダエフの独断により実施された大統領選挙は、
 360か所の投票所の内、70か所でしか行われていない非民主的なもので、
 ロシア最高会議は違法と宣告。

 ドゥダエフは石油立国を夢見るが挫折

・ロシアによる経済封鎖開始
・チェチェンの失業率2~4割
・農村の失業による過疎化と都市化

・1992年:ドゥダエフ政権内部対立
 石油産業を握るマモダエフ副首相とドゥダエフが対立
 石油収入を巡る内部対立。武力衝突後、ドゥダエフの強権的政治支配強化

・1993年:<エリツィンVSハズブラトフ>
 エリツィンはロシア最高会議を砲撃
 議長ハズブラトフはチェチェン人なので、「チェチェン人はマフィアで、
 犯罪者だ」という反チェチェン・キャンペーン
 エリツィンにとって、チェチェン問題は政治的カードの一つ。

・1994年:チェチェン内戦開始
 <反ドゥダエフ派>:・ラバザエフ :元チェチェン最高会議議長
           ・ハズブラトフ:元ロシア最高会議議長
           ・ハッジエフ :元ソ連石油産業相
           ・マモダエフ :元チェチェン副首相
         
 <ドゥダエフ派>:チェチェン民族国民会議
           ・「緑の運動」環境保護運動:ゴイテミロフ
           ・「イスラムの道」イスラム復興勢力:ガンテミロフ
                           (グロズヌイ市長)
           ・「ヴァイナフ民主党」:ヤンダルビエフ

・1996年:ロシア大統領選挙
 エリツィン派とハズブラトフ・レベジ派との勢力均衡
 これが第一次チェチェン戦争を終わらせた

・ロシア中央政界での対立が、チェチェンに反映
・エリツィンの病状さえ、チェチェン情勢に影響

 第一次チェチェン戦争前、チェチェン人内部がいくつにも分裂していた。
・旧共産党ノーメンクラツーラ
・石油産業関連に利害を持つ者
・民族主義者
・宗教指導者
 等々

 例えば、独立派内穏健派には、タタールスタン独立宣言のようにロシア連邦に
留まりつつ、ロシア内での自治権拡大を訴える者等、各勢力内には、穏健派から
急進派まで多岐にわたる路線の違いが存在した。
 しかし、ロシア軍が侵攻して来ると、それまでの対立は一時棚上げし、
ほぼ全チェチェン民族が結束して戦う。
ということは、第一次チェチェン戦争後、内部分裂が再燃することを意味した。

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