ザーラ・イマーエワ女史(週刊読書人)
「ホメオスタシス対立としてのチェチェン戦争」ザーラ・イマーエワ
(「週刊読書人」10月29日号)
筆者のザーラ・イマーエワ女史は、
『春になったら』&『子どもの物語にあらず』
(DVD・VHS)3500円+送料500円
という映像作品の監督です。
北オセチアの事件については、
「極めて重武装の一団がどのようにして、戦略空軍基地、ロケット
および装甲戦車部隊のひしめく全く遮蔽物に欠く平原部を
数10キロにわたって移動できたのであろうか?」
「何故にグルジア・オセチア間の対立激化を背景とする昨今の
地政学的矛盾先鋭化の時期を選ぶようにこの事件が起きたの
か?」
などと幾つかの疑問点を述べている。
なるほど、これらの諸点には疑念も生じる。
しかし、
①「ロシア報道機関以外、信じ込む者がいないような、
バサーエフによる「犯行自認」」
②「学校占拠テログループ中には、チェチェン人もイングーシ人も
いなかった」
③なぜなら、「ワイナハ(チェチェン・イングーシ)」には、「アダート
と呼ばれている血讐と父権制によって統御される内的な不文律
によって生きている」からだという。
④今回の事件後、オセット人とイングーシ人間に民族対立の激化
が起きなかったのは、「オセット人が、隣接する民族たちと同様の
『掟』に生き、隣人の社会組織を良く心得ている」からだという。
①について、
バサーエフの犯行声明は、カフカス・センターというチェチェン独立
派系のサイトに発表されたので、てっきりそうだと思っていました。
しかし、筆者の言うように、バサーエフではない、とも断定できない
と、今の所、思っています。
②について、
犯人グループには、チェチェン人はいなかったとは思えません。
アンナ・ポリトコフスカヤの記事では、アラブ人はいなかった。
チェチェン人とイングーシ人だけだったと書かれていましたので、
てっきりそうだと思っていました。
しかし、筆者の言うように、チェチェン人はいなかったとは、
断定できないと、今の所、思っています。
(「死を賭して報じるチェチェンの悲劇」アンナ・ポリトコフスカヤ
(月刊現代11月号)
犯人グループと交渉し、乳幼児26人を解放させたイングーシ共和国
のアウシェフ元大統領は、「犯人たちの中には、チェチェン人も
イングーシ人もいなかった」と証言していましたね。
う~ん、どうなんでしょうか、今の所、分かりません。
③について、
「誓い」でハッサン・バイエフは、
「私達の世代がロシアで教育を受けて、ロシア人の友人がいるのと
は違って、この若いチェチェン人世代は、ロシアから受け取る物は
死以外に何も知らない」と書いています。
ソ連時代、チェチェン人に対する偏見・差別・迫害はあっても、
チェチェン人と他民族は、ソ連国内を相互に行き来し、交流していま
した。ソ連の数少ない肯定面は、教育でした。
現在のチェチェンでは、もう長年まともに学校教育も行われていま
せん。
次の世代は、民族の伝統すらきちんと受け継ぐことなく、報復の
怨念のみ肥大化させ、成人していくとしたら、従来の民族的伝統を
必ずしも引き継いではいないと思います。
事実、年配の穏健派イスラム教徒(スーフィズム)と対立し、
イスラム原理主義(ワッハーブ派)に傾倒する若者が多く出現したし、
親子間での勘当もあったと聞いています。
④について、
確かに、事件後、オセチア・イングーシ間での対立激化には至っては
いません。
それは、治安機関強化による、検問強化とか、過去の紛争を
ほとんどの民衆が繰り返したくないと考えているからでしょうね。
「ホメオスタシス対立」とは、
「二つの異なる価値観の間の対立であり、価値観の異なる社会機構
の間の対立である。ホメオスタシスは、外的変化に対抗して内的な
恒常性を維持しようとする機序を指す医学用語である。
もしチェチェン社会を硬質の結晶のような構造の社会と見て比較
するなら、ロシア社会は常に変態(メタモルフォーズ)を遂げている
いわばゼリー質とでも言って良い社会である。
それは国境線が唯一この無定形の塊の拡散を防ぐ、目先の
利益追求型の国家でもある」と述べている。
こういう要素も確かにあるとは思う。
しかし、チェチェン戦争を定義するのに、この規定が第一の、
主要な規定だと言うのであれば、それは明確な誤謬だと思う。
異なる価値観の間で、常に必ず戦争が起こっている訳ではないからだ。
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